Quantcast
Channel: 花の四日市スワマエ商店街
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2334

我が愛しの映画館⑩透明人間

$
0
0

『透明人間』は、昭和29年12月29日のお正月映画第1弾として東宝映画で上映された。戦後間もない作品だけあって、雰囲気がよく出ている。これは、街灯テレビの様子である。オイルパーマ250円・オータニ美容院

当時幼稚園児だった私は、母親におんぶされて弥生館へ観に行ったのではなかったか?灰の入れてある金属の箱に炭を入れて風呂敷に包んで持ち込んだ。足温器である。

河津清三郎は、東映のヤクザの親分という印象だったが、菅井一郎や藤原鎌足らとグループを作りフリーで活躍していたそうだ。

主演の河津は、太平洋戦争時、軍の実験で透明人間にされたが、透明の利を使い、キャバレーを経営するギャングと闘うという物語だが。ここでも悪の巣窟がキャバレーになっている。

その奥がギャング団の事務所である。

そして、最後の決闘シーンではアレレ?と思った。

なんと三條美紀を盾に取る悪人のボス・高田稔さんの左手が、しっかりと三條の胸を押さえているではないか。

確認のため モイチド。さすがに監督から注意を受けたのか、その後の手の位置は変わっているが・・・そんなの アリ?と言いたくなる。

河津清三郎で検索していたら、ウィキペディアにこんな面白いことが書いてあったので少々長いが、掲載させていただく。

昭和4年の映画「首の座」では、なかなか役の感じがつかめず苦しんでいた。「恋人が激しく止めたのに自殺してしまい、途方に暮れる」という場面だったが、マキノ正博監督の「芝居するな」との指示にも関わらず、力んでしまってどうにもならない。前に仕出しが入ったところで、河津がぐっと息を詰めるので、マキノ監督が「違う! 気張るな!」と怒鳴った途端、緊張した河津は一発、屁をしてしまった。「役を下ろされる」と思った河津は「あァ……」とマキノ曰く「何んとも情けない、阿呆みたいな顔」をしたのだが、三木稔はこの機を逃さずキャメラを回し続け、河津のこの表情をすっかり撮影してしまい、さっさと次のセットに移っていった。

このとき、屁の音は聞こえていたがスタッフは一所懸命で誰も笑わず、「うまいこと芝居しよんな」と思ったくらいだった。が、河津はマキノと三木を追いかけ、屁を詫びながら撮り直しを頼んできた。

マキノ監督が「阿呆んだれ! お前、もういっぺん屁出るか、よし出たとてあんないい芝居出来へんて! よかったなァ、おおきに、おおきに」とねぎらうと、呆然とした後河津は泣き出してしまった。

あとで三木キャメラマンはマキノ監督に「大きい屁こきやがってなァ。屁ェこいたらええ芝居になったちゅうのは、ちょっと珍しい役者やで」と感心していた。

河津は後年までこれを憶えていて、マキノと「あんたみたいに意地の悪い恰好のつかん監督はなかった」、「いや、そやない、お前ほど下手な役者はないで、屁ェこいたら芝居が出来た。けったいな屁みたいな役者やったぜ!」と、互いに冗談めかした会話を交わしている。

完成後、この映画で河津は、「演技賞もんだ」と高く評価され、その後大スタアとなったのである。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2334

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>