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我が愛しの映画館⑪つづり方兄弟

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弥生館の歴史は古い。明治26年開館の『新地座』が、大正10年に新興キネマ系の劇場『弥生座』に改名。

大正11年

昭和10年『弥生館』となる。

同20年6月の空襲で焼失したが、翌21年新築オープン。東宝系の封切館となり「ゴジラ」の第1作も上映された(昭和29年11月3日封切り)。

昭和37年(次週は 用心棒と椿三十郎が再映される)

昭和43年

加山雄三の「若大将シリーズ」、森繁久彌の「社長シリーズ」、また黒澤明監督の作品の数々や、文芸作品なども上映された。

昭和33年封切られた東宝映画『つづり方兄弟』は印象が強い(家の前の病院に出入りする人が捨てるごみを拾っている光景とか、フウフウが高熱を出しているシーンとか、ありありと目に浮かぶ)作品だった。監督は『警察日記』の久松静児。

文雄を見舞う先生(香川京子)横には同級生役の二木てるみ

枚方市のはずれ、柿の木の下にある小さなボロ家。ここにブリキ職人の野村元治(織田政雄)と妻みつ(望月優子)それに六人の子供が住んでいた。学校へ行っている圭一・まち子・文雄(頭師孝雄)の三人は、みな 天才と評判をとるほど作文が上手だった。

圭一は作文コンクールで貰った自転車で新聞配達をしながらソロバンを習っている。まち子は“みつ口”だが、それでも学校の先生になろうと思っている。誰からもフウフウという愛称で呼ばれている文雄は、小学二年生だ。(注・先生役に津島恵子・香川京子、友達に二木てるみ、ブリキ屋に森繁久彌、妻に菅井きん、医者に左卜全らが出演している)

頑固な気性の元治は、出先きで面白くないことがあると、仕事を中途にして帰ってきて、酒をあおってゴロ寝してしまう始末だった。こんな不甲斐ない夫を見てみつは夫婦別れをする決心で妹のはま(乙羽信子)の許を訪れた。けれども、戦争未亡人のはまの口から、元治が月々生活の足しにと、いくらかのお金を届けていると聞かされ、みつは夫の心遣いにうたれた。

こんな兄妹の生活に流れこんだ大きなニュース モスクワの国際作文コンクールの話である。三人揃って書いた綴方は、いじらしい祈りをこめて遥か北の国の都へ送られた。折返し受取の通知が来たが、なぜかフウフウのだけは来なかった。

フウフウは、学校の帰りに茶色の仔犬を拾った。マルと名づけて可愛いがった。フウフウは新しい夢を得たのだ。ある雨の日。いなくなったマルを探して駈けずり廻った文雄は、その夜高熱を出した。家庭薬で間に合わせたりしている間に、容体は取りかえしのつかないものになってしまった。文雄はわずか八歳で亡くなった。悲しみの中へ、新聞社の人たちが駈けつけて来た。そして、フウフウの作文が、モスクワで一等当選になったことを知らせた。せめて文雄の生きている間に一同は新しい涙を拭った。

 


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