浦松佐美太郎氏の投稿は、万古焼へと続く・・・
陶磁器は昔から「万古焼」という名で知られている。小さな工場がたくさんあって、それが年に20億円近い生産をし、何億円という輸出をしているのである。万古焼は四日市の繁華街を外れたところに一区画を成して、何百本という煙突を並べている。
万古焼などというと、ヒナびた昔風の茶の器具を思い浮かべられるかもしてない。しかし、今日(昭和32年現在)の万古焼は、そんなものではないのだ。アメリカやその他の国に輸出する食器や、置物などを作っているのである。およそ万古焼などというなとは似つかない外国風の物ばかりである。それでも土地の人たちは伝統に従って、それを万古焼と呼んでいるのである。伝統の技術を生かして新しいものの生産へと進んでいく町である。進取の気風に富んだ町だと云ったらいいかもしれない。
まだそのはかに工場はいくらもある。漁網工場、セメント工場、油脂工場、タオル工場、肥料工場、チタン工場など挙げていけばキリがないだろう。四日市は大きな工業都市なのだ。そしてどこまで大きくなっていくか。ちょっと見当もつかない将来を持っているのだといってもいいだろう。
「ここは ばんこ焼のまち!」内田剛一著 より
ブルーウィローディナープレート(イギリス)
萬古ブルーウィロー中皿(万古焼)
李朝花三島鉢(李朝初期)
花三島土鍋(万古焼)