江戸の道しるべ折損 トラックによる(昭和11年7月1日 伊勢新聞より)
愛知県渥美郡福江町 古内自動車運転手 河合春次(21)は、6月28日午後8時半頃 伊賀名張町からトラックに酒を積載して 豊橋に帰る途中 四日市南町 四日市銀行西支店四辻で運転を誤り 建てられてある石の道しるべ衝突 折損した この道しるべは天保10年6月7日 四日市上新町 石屋 新兵衛さんが建てたもので 名所図会等にも載せられている由緒あるもの 四日市土木出張所では 折れ口の骨つぎ工事を施したが 到底元通りとはならぬので 残念ながら近く建て替えることとなった
旧四日市を語る会に「精養軒の角(現在の伊藤皮膚科医院)のところに 子供の時分に石柱が立っていて それを学校の行きかえりに飛び越えては叱られた」とあった。四日市宿の辻に立つ道標のことです。
辻の西北に岡田屋さんがある
上の図は昭和2年頃の配置図です。この頃に精養軒さんはなくなっている。戦後 諏訪劇場前に建った精養軒さんと同じ店舗ではなかろうか?以前グリーンモール商店街で精養軒さんのことは書いている。
2018年12月23日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
少しい古いことになるが 伊藤さんという方が訪ねてみえた。
2011年4月15日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
その後伊藤さんからのお便りが届いている
2011年4月22日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
10年の歳月がたつが お元気でみえるだろうか?
追記 下総人様
当時の博覧会の図から見ると救護所(四日市市民病院)は、博覧会会場内に建てられたようです
道路の角に立つ建物の写真は 迎賓館前から撮られたものではないでしょうか?