“四日市史”近代編の冒頭を飾る 高砂町貸席 風景(明治5年)。三代広重画による東海道名所 改正五十三駅のうち四日市とあります。この年、稲葉三右衛門氏が、港の建設を請願した年です。すでに四日市は良港の地の利だあったため、高砂町は賑わっていたのでしょう。
通りの真ん中には桜の木が植えられまるで江戸の吉原のようです。蜃気楼が望めたとあります。以前にも紹介させていただきました。
2012年5月7日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
下の図は明治10年の旧港の鳥観図です。明治6年には稲葉三右衛門氏により港が着工され、その年に燈台と波止場を除く堤防が完成しています。8年に高砂町と稲場町が命名されました。出島みたいです。
時代は移りますが、昭和20年の空襲で焼け野原になった時の旧港です。
諏訪神社や市役所が望めます。第三小学校は今の納屋プラザです。
※ 稲葉三右衛門氏によって港の堤が出来たのが明治6年ですが、それ以前(明治5年の貸席風景)から高砂町(明治8年命名)は賑わっていたようです。