昭和28年7月12日発行の“名古屋タイムス”に、「四日市新地図」と題して、当時の四日市が紹介されている。(再掲載)
四日市は夏場の景気がいいそうだ。富田方面への海水浴客がドット旧市内にも入って金を落としていくからだ。機敏な四日市商人はソロバンをはじいて用意おさおさ怠りないところだろうが、さてその四日市ってどんな街なんだ、と聞かれても返答に困る。中心は諏訪新道から諏訪神社前の諏訪連鎖街と呼ばれる一角だが、なにも特色がない。ただどこでもある大都市の盛り場をちょっとチャチにしただけのものである。お定まりのガラスと蛍光灯のいやにピカピカした感じは東京でも大阪でも名古屋でも四日市でも全く同じでどこかで買ってきた既製品の街という感じだ。明治以来の日本人の犯してきた誤りだが、特に戦後出来た町はこの傾向が強い。四日市も昔は中町通りというのが多少はにおいをもっていたが、全部焼けてしまった。この諏訪新道と諏訪連鎖街はまったくの焼け野が原にたてた町だという。つまりまだ子供の町である。この子供はどこをみてもどこかで見た様なという感じがする。(つづく)