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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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明治40年の四日市港

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明治30年頃になると、稲葉甲太朗という人が登場する。三右衛門翁の息子か?

当時の四日市港全景

運送業 日本回船合資会社 資本金二万円 明治29年11月創立 自ら日本郵船会社の荷物を取り扱う 業務担当社員 稲葉甲太朗

明治39年当時の四日市港よりの国内向け輸出品は、米(伊勢米)・麦・雑穀・糠(ぬか)・酒・油・綿糸・綿織物・陶器・セメント・茶・生糸・人造肥料・綿花・海産肥料・襤褸(らんる:ボロ服のこと)・材木類・磨き砂・雑貨その他 取引額は15万トンで1800万円

国内からの輸入品は、北海道産 肥料、雑穀、塩魚、材木、氷(以上 北海道)・綿花(米国、印度産)・麦粉・鉄材原料品・肥料原料・洋酒 麦酒・薬品類・小間物類・砂糖(台湾産)・米(台湾産)・麻・雑種品・石炭 取引額は2650トンで796万円

海外向け輸出品は、製茶・時計・陶器・綿織糸・綿布・醤油などで220万円

海外からの輸入品は、米・大豆・小麦・小麦粉・肥料・銑鉄・綿花などの635万円である。

明治末頃の四日市

海外交易は輸入が多かったが、国内向け輸出が圧倒的に多くを占めていた四日市港だった。(明治40年5月発行“四日市史”伊藤善太郎著より)

感謝:本町の水谷宣夫氏からお借りした小冊子“四日市史”を写させていただきました。北海道から氷が入ってきたり、ボロ布が出荷されたり、台湾からの砂糖が入ってきたりと興味深い記載がありました。


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