昭和3年 昌栄橋北詰めに 稲葉三右衛門氏の銅像が建つも 供出で撤去された
背景から察すると 西側に南向きに建てられた?
運河のある背景から ここに間違いない
昌栄橋の周辺を撮る
北を望むと 尾上町から高砂町、稲場町方面に道がのびる 先の信号を右折すると 千歳橋を渡って昭和11年開催の国産振興大博覧会会場になる
南 昌栄橋を見ると 四日市港の第2埋め立て地へとつながる
運河は西 阿瀬知川河口につながる 三重鉄道の終点があった場所だ
運河は昌栄橋地点で埋め立てられ終わっている
ここから北へ 相生橋西詰の南納屋を覗く ここまでの運河は埋め立てられ防災地域となって公園化している
納屋運河の由来
天然の良港であった四日市港は、明治初年に先覚者稲葉三右衛門翁の手により修築され 近代港湾への基礎が築かれた。その後、港勢の伸展に伴い 旧港だけでは船舶の入港に応じきれないため 新港の開さく計画に基づき再度工事が起工され、昭和11年念願の新港が完成した。
この輝かしい歴史の中から納屋運河が誕生し、運河は昌栄町から北納屋町に通じ作業船や小型漁船の停泊地として、また釣り人の姿など見られ、岸辺の人々の憩いの場でもあった。然し、昭和27年頃より臨海工業地帯の急激な発展により転換期を迎え、運河の使命も終焉を余儀なくされた。
市では地区住民の要望に応じ、國の石油貯蔵施設立地対策等交付金を受け昭和55年度から2か年で整備し、納屋防災緑地として新しい使命が与えられた。
昭和57年3月吉日建立 四日市市
運河跡の記念碑から南を見ると 公園が広がる
この先に昌栄橋がある