“昌栄橋は何時できた?”で、明治44年から大正11年の間と推理しましたが、どうも緩すぎて後味が悪い思いを致しておりました。
2021年5月12日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
そこで四大事業のことから調べなおしました。
稲葉三右衛門氏による港改築以来、四日市湊は益々繁栄の様であった。しかし、宮の渡し(名古屋港)の追い上げも激しく、その地位を脅かしかねない様相となった。そこで、明治39年の市議会では“四大事業”を掲げ実施することとなった。それは、
こうして明治39年12月工事は始められたが、暴風雨等で工事は難航、明治43年ようやく竣工した。(明治43年四大事業完成)
四日市史より
この四大工事を踏み台に明治43年から昭和3年にかけて第1期修築工事に取り掛かることとなる。
明治43年の計画絵図 この時昌栄橋は予定に入っている
当初、県の単独工事(県の事業で行われた)であったが大正3年に国庫補助金を受け、本格的に事業に取り組めるようになる。こうして、大正5年第1号埋立地完成。大正6年には末広町と命名された。末広町ができた大正5年には末広橋はできていた!
大正12年
ムム・・・微妙なところで昌栄橋が見えない!
工事がすすむ1号埋立地の北側が、国産振興大博覧会会場となる。