写真集“四日市の100年”椙山満監修 名古屋郷土出版 寛文年間の四日市地図があった。
この図から四日市湊は三滝川の川下にあったことがわかる。真ん中の“土橋”が“思案橋”、左上が“不動寺”とあるから、現在の本町は海の中だった。上の森が“諏訪神社”である。
この写真はごちゃごちゃとしているが、前回紹介した四日市の“第1期築港 四大工事”、その起工式の様子である。明治43年7月17日、尾上町にて。手前に並ぶのは人力車の列。この段階では、市の事業だったから地元有力者がズラリ参列した様子がうかがわれる。
そして、昌栄橋が見つかりました。見つかったといっても堂々とこの写真集に掲載されていたのですが。
阿瀬知川河口の昌栄橋 (四日市末広町・大正5年)第一期築港工事で完成した末広町と尾上町の間にかかる昌栄橋
昭和3年、橋の北詰め(写真中央?)に稲葉三右衛門翁の銅像ができます。十数年後のことです。