コメントをいただきました。感謝!ご紹介します。
パンフレットの垂坂山(御祓岡)の碑は説明書き通り大正天皇が皇太子時代に陸軍の演習の際、垂坂山を訪れたことを記念して大正時代に建てられた碑です。倒壊の恐れがある為、十年ほど前に撤去されました。碑の文字は「今上天皇御駐蹕處」で形も円柱砲弾状で富田ホームページの垂坂山の写真とは一致しません。
富田ホームページの写真と文字と形が一致するのはパンフレット額突山(ぬかつきやま)天武天皇御舊跡の写真ですよね。額突山は糠塚山(ぬかつかやま)の別称です。ですから富田ホームページで垂坂山と紹介されている写真は実のところ糠塚山(額突山)山頂の写真なんです。
尚、パンフレット中の和歌に「志氐(しで)が岬」とありますが正式には「四泥(しで)の崎」です。※ 阿倉川の志氏神社まで海が来ていて、岬になっていたんでしょうか?
シドロの松は四泥の引用でしょう。また志氐神社(しでじんしゃ)の社名もこのシデの発音が元になっております。シデは(木綿)四手でもあるのですが説明は割愛します。※ 初めは“松ドロシ”?と読んで何ノコッチャと思ってました。当時、木綿はなかった。木の皮を叩いてさらした楮(こうぞ)のようなものを着ていたのでは?とくるべ館の方のお話でした。
噴水上の聖武天皇像は聖武天皇で間違いないはずですよ。聖武天皇の和歌に出てくる「吾の松原」の候補の一つが富田浜、富洲原付近の海岸です。近くには聖武天皇社もありますし、和歌に因んだものだったものと思います。※ 飛鳥時代の昔から富田浜の海岸はあったんですね。聖武天皇社はどこにあるのでしょうか?
四日市高校の南を流れる十四川の堤に立ち寄った。注:ワタシが
富田 思い出の写真集より
幼少の頃、お袋に連れられて桜みに出かけた。途中キンカンを買った。なぜかキンカンを食べた記憶だけが残る。少し侘しい気持ちだったからかもしれません。
迹太川の特定ができず、十四川もその候補の一つに上がっています。多分!このところ自信がなくなってきたので、特定しないように心がけております。その割には、古代ロマンにひたっております。