四日市市史研究 第14号より“人気を呼んだ富田浜 椙山 満”
省線富田浜駅からまっすぐ海に出ると、ここが富田浜海水浴場。ここも水のきれいな白砂の海岸で、隣の霞ケ浦に負けじとこしらえた人口の岩山から大瀧が落下していて、海水浴後の水浴びに大人気を博していた。
この浜の特徴は旅館や別荘が多かったことと、天然の好環境に恵まれて保養(サナトリウム)の性格を持つ富田浜病院や飯田病院が海岸通りに並んでいたことである。
富田浜病院
三藤旅館
飯田病院の東は入江になった松原で、近くの一本松と並んで、富田の名所絵葉書になったほど詩情と風光にあふれていた。この入江の北半分は、十四川の川口でもあり、帆柱の並ぶ富田の漁港になっていた。
ここから北に続くは富田一色の海岸で、舟が砂浜に引き上げられ、海産物が砂浜一杯に干されてあるので海水浴はできないが、その北半分は松ヶ浦海水浴場と名付けられ、飛び込み台やボートが浮かび、富田中学(旧制)のヨット部が訓練に勤しんでいた。
昭和30年頃の空撮。午起周辺が写っている。国道23号線(名四国道)は未完成だ。慈善橋も以前の位置にある(その後、西に移動)。この時(昭和30年)は三岐鉄道は午起停車場への乗り入れが出来ていた(昭和27年12月~昭和39年10月・富田浜~四日市間)。昭和13年のマップには、確かに午起駅は存在しているが、省線(国鉄)は停まらなかったのだろうか?