民宿もあった須賀浦の海 椙山 満
平次郎橋や海運橋をくぐってきた運河(堀川)が海に注ぐ川口に構える富洲原港。それから北にはまた翠(みどり)深き磯馴松という松原と遠浅の白砂の美しい海岸が延々とつづく。この天カ須賀の海岸は須賀浦と呼ばれる海水浴場で、上水道の噴水塔、貸舟、貸ボート、売店、無料休憩所など軒を並べ、遠浅で女子供にも安全で、愛知県下の小中学生の宿泊団体までやって来て夏中賑わっていた。
中には汐とり(汐湯治)さんといって、長期間宿泊して海水浴する人々もあって。その最盛期には天カ須賀の民家の百五十軒位がこれを受け入れていた。また特にこの浦の名を高くしたのは、遠浅の海で取れる蛤の潮干狩りと、須賀浦海水浴場近くにある入江の碧水に、常盤の翠録を垂れ映し、うっ蒼として空を覆い、千鳥の啼く音を交えて海風に天楽を奏し、一味の涼気と一脈の仙風を以って遊覧客を迎えてくれる樹齢三百年の老松「住吉の松」で、この松は須賀浦の誰もが語る名勝でありシンボルであった。
(椙山医院院長・四日市郷土史研究会会長)
昨日、富洲原小学校へ通っていたお客さんと話が弾んだ。海水着で学校からはすぐ海ということだった。住吉町を通って須賀浦海水浴場へ出たようだ。