663年(ちなみに 壬申の乱は672年)百済に出兵した白村江の戦いで日本軍は、けちょんけちょんに大敗した。おかげで新羅や唐からの防衛のため、国民に北九州や対馬・壱岐への徴集がかけられた。御上は3年間、国の防備にあたれという。しかも、解任後は現地解散。故郷にたどり着くまでに亡くなった人も多かった。命を懸けた旅立ちだった。
防人に 行くは誰(た)が背と 問ふ人を 見るが羨(とも)しさ 物思(ものも)ひもせず 大伴家持
〈防人に行くのは、どなたの夫と悲しみもなく聞く人を見るとうらやましい〉他人事とみる世間の目は冷たい・・・。いつの時代も同じですね
立ち鴨(こも)の 発ちの騒きに 相見てし 妹が心は 忘れせぬかも
(立ち鴨の=枕詞) 出発する騒ぎの中に、共寝をした妻の優しい気持ちは忘れられない。
旅だった夫を想っている奥さんの歌
我が背なを 筑紫へ遣(や)りて 愛(うつく)しみ 帯(おび)は解かなな あやにかも寝も
私の夫を防人として筑紫へ旅立たせて、いとおしさに私は帯を解かずに夫のことを案じながら寝ようか
夫婦の別れ。家族との別れ。戦は何時の時代も残酷でした。