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四日市湊物語 ⑦ 開栄橋西詰南角

“その男もまた、近代国家誕生に命を懸けた時代の立役者の一人である”で始まる、北野保さんの“『続 四日市浪漫紀行』開栄橋西詰に境界石現存”の文章より。

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前島 密

従来の飛脚に代わる郵便制度の創設は、日本の“近代郵便の父”と称される前島 密が、明治3年6月2日行った「新式郵便」に関する建議に始まる。そして、明治4年3月1日から、東京・京都・大阪の三都市と東海道の62の宿駅間で郵便の取り扱いが開始された。最初は、東京・京都・大阪に駅逓司郵便役所と「書状集メ箱」を東京11カ所、京都4カ所、大阪7カ所設置し、地理に詳しく足の速い郵便集配員(東京12人・京都8人・大阪10人)を選び、集配業務を行った。東海道の各宿駅にも郵便取扱書と郵便ポストが設置されたが、宿駅の駅逓業務の一環として行われたため、伝馬所の一部で行われ、運送員は一人でかなり重い郵便行李を担いで走った。

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北野保著 続 四日市浪漫紀行より

四日市では、当初、南町に郵便取扱書が開設されたが、後に浜町に移り明治12年1月には、蔵町(現 中納屋町)開栄橋西詰南角に移転し、郵便業務が続けられた。この場所が浜往還一本松が立っていた第二の四日市湊であった。写真は、この場所の南東角に現存する(平成29年)高さ24センチほどの境界石で、南側表面には『逓信省用地』の5文字が2列で刻まれている。

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境界石がなくなった?の声を聞き、再度出かけてみたが、空き地の角にそのまま残されていたのを確認した。

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