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四日市湊物語⑧ 蔵町の暮雨

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“蔵町の暮雨”出口對石 画(知られざる四日市の面影、泗水十二景より)四日市博物館

江戸時代19世紀初めに描かれた「東海道分権延絵図」にも、蔵町あたりには瓦葺の蔵が建ち並んでいました。その頃の建物の多くがこの絵にも描かれていると思われます。画面の奥に建つ洋館は四日市銀行(三重銀行の前身・現在は三十三銀行)の本店です(明治43年建設)。雨に濡れる柳の枝がぼんやりと描かれているところに、写真の影響が感じられます。

明治28年、北納屋の運河沿いに創立された四日市倉庫会社の本社事務所。木造の半鐘と開栄橋が架かる。この通りの左(南側)には、郵便局が建っているはずである。

江戸時代、四日市の湊は波静かで水深く、東西交通の要衝にあって、天然の良港であった。明治3年、先覚者 黒川彦右衛門、佐伯又右衛門、福生裕作の三人は東京の回船会社に出資して、東京~四日市間に汽船を運行させることが出来た。廻潤丸、清渚丸、貫効丸と次々に就航して、全国からの集散で湊四日市は一躍有名となり『会いはせんだか遠州灘で、二本マストの貫効丸』とうたわれるまでになった。

しかし、安政の大地震で昌栄新田の堤防が決壊し、流れ出た流砂が港の入り口をふさぎはじめ小舟の出入りすら困難となった。この光景を見て一念発起したのが稲葉三右衛門であった。

稲葉三右衛門翁の、苦労の果ての功績は令和3年5月のブログに書かせていただきました。

2021年5月3日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

2021年5月4日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

稲葉三右衛門によって修築された四日市港は、四日市〜東京間の定期高路線も多くなり、すでに明治15年には汽船の入港724隻、出港740隻にのぼり、同22年には特別輸入港、30年には特別輸出港に指定された。その後、伊勢丸がセメントを積んで仁川へ、住吉丸が満州から大豆・豆粕を積んで入港するなど外国貿易も活発化、明治32年には正式に開港場として指定された。

明治28年の四日市港付近町村略図より(真田氏提供)

発行 四日市商業会議所


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