昭和3年7月、四日市港の第1期工事全部が竣工した。しかし、工事を行っている頃、隣の名古屋港ではすでにその第2期工事が進められ、入港船の一部が名古屋に吸引され始めていた。そこへ突如として四日市にとって不幸な事件が発生してしまった。ペスト騒動である。
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四日市は対策の為、大正6年に開港検疫所を誘致したが、大正10年には名古屋港に追い越されてしまった。
第1期工事に続き昭和4年4月から第2期工事にかかり、昭和11年3月現在の第1埠頭にあたる荷揚げ場などの施設が完成した。この機会に港四日市の姿を国内はもとより、広く海外にも宣伝しようと、昭和11年3月から「国際振興四日市大博覧会」が、四日市港頭(千歳町)にて華やかに開催された。