明治39年、日露戦争が勃発し貨物の集散が一層激しくなり、もはや旧態に甘んじておれなくなった。そこで次の4事業を始めることとなった。①阿瀬知川の開削 ②入江の浚渫 ③海面の浚渫と埋め立て ④諏訪前(諏訪新道より本町)の道理改修 に取り掛かることとなった。
明治43年尾上町での起工式の様子
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新港建設の大工事は、大正元年の大暴風や、大正3年のシーメンス事件による政変、第1次大戦による物価上昇などいろいろな障害に合い、一時は工事中断の恐れもあったが、県と市の懸命の努力によってまずは順調に進み、昭和3年7月に第1期工事の竣工を見たのである。
相生橋から西を望む