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稲葉翁伝⑭ 県参事 岩村定高

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稲葉三右衛門は、何人とも手をつけることのなかった難工事を、個人で設計から見積り、湊を生業としている人々への説得等を行い、明治4年1月13日、田中武右衛門と共に県庁を訪れた。

博物館明治村 三重県庁舎 : レトロな建物を訪ねて (exblog.jp)

実は、明治4年の廃藩置県施行後は官庁の移動が多く、頼りの浦田長民はもう四日市にはいなかった。四日市は、明治2年8月 渡会県の管轄に、明治4年11月安濃津県に、その後、安濃津県は明治5年3月に三重県と改称された。この時着任した丹羽賢参事は、県庁を一時四日市へ移している。しかし、後任の岩村定高参事は翌6年8月に再び津へ戻した。

岩村定高参事に面会を求めたが多忙であったため、権参事 鳥山重信に会見している。

「イヤ、その話なら前任者から聞いております、いろいろご苦労ですナ。して、その書類はお持ちになりましたか?」

「ハイ、これが願書の案文、目論見書と見取り図です。お目通しいただきご指導を賜りたいと存じます。」

「・・・これはなかなかよく出来ていますね。しかし、今すぐ返事も出来ません。御趣旨を詳細拝見しました上、上司 岩村定高にも申し上げたいと思いますので、この趣意書をしばらくお預けください。県庁といたしましても出来ることは致しましょう。」

その後、県庁からは何の返事もなかった。実は、参事 岩村定高は、嘗て明治大帝の行存所となった黒川方に止宿していて、彦衛門から事の次第は聞いていたのだった。3月10日になってようやく岩村参事から出頭の要請が来た。

岩村定高 - Wikipedia

「いや、これはなかなかの大事業ですぞ。個人が自費でやるのは無理じゃないかね。」素人がやる事業ではないと、冷たい返事が返ってきた。

追記:岩村定高は、明治9年 松坂に端を発した伊勢農民暴動を鎮圧していた。


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