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稲葉翁伝⑬ 日野 百日算

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「この度、田中武右衛門さんとも相談しまして、いよいよ工事を始めたいと思いますんで、ご挨拶かたがた御指図を賜りたいとお伺いした次第です。」

処は、度会郡四日市支庁(中部西小学校の陣屋跡)の応接間。庭に大きな椋の木がある。武右衛門と三右衛門は、支庁長の浦田長民に前へ見取り図を広げた。

「これはこれは、なかなか立派なもんじゃなぁ。しかし難工事となろう・・・」

絵図面を熱心に眺めていた浦田支庁長は、何を思ったのか手を叩いて若い下僚を呼んだ。

「何時か井上親亮が提案した、築港工事の仕様見積書があったはずじゃ。持ってきてくれ。」

井上親亮はこの時、北海道開拓会頭取だったが、明治元年6月に港改築の仕様書を政府に出していた。天保12年西日野に生まれた井上は、若い頃 京都へ出て大亦墨隠に諸子百家を学び、最も算術に巧みであったが、京都の宇治茶を四郷村へ持ち込み製茶業を広げた人物でもある。慶応4年(明治元年)、再び京都へ出た井上は、通商局に勤め 四日市築港及び、鈴鹿郡広瀬野の開拓を建白したが入れられることはなかった。

「稲葉さんこの書類をお貸しします。さすが数学家の作成したものだけあって、必ずお役に立ちます。」浦田支庁長は、井上の作った仕様書を差し出した。

四郷郷土資料館(四日市) - いのりむし日記 (goo.ne.jp)

井上親亮は、明治2年3月、江戸へ出て税務局を務めている。この時、大村益次郎暗殺の一味、正義隊員金島一郎の助命を退けてその正義を認められたが、翌3年 北海道開拓団の頭取を命ぜられた。この年、四日市港へ鰊粕その他の魚肥を直接送っている。ところが、北海道の函館、大町、江刺、新潟の出張所を造ったが、台風による船舶破損で8万両の欠損を出し、大阪、敦賀の駐在員の不正を糺そうとしたため一味による毒殺に遭って、九死に一生を得て11年四日市に帰っている。彼は日野の珠算塾“伊勢百日算”の始祖となった。

「何万両もかかる大仕事じゃ。功名を妬む人も居よう。何時でも浦田の処へ相談に来てください。」

日野珠算学校/伊勢百日算:四郷地区にある名所旧跡 (yogou-mie.com)

<伊勢百日算 のこと>

明治維新後、政府は極端な欧化政策を執り、小学算術上でも筆算を重視し珠算を疎外した。井上親亮は珠算が日本の将来にとり欠くことのできないものとの信念に基づき、百日算共興学舎を設立して珠算教育に専念した。多数の門下生は経済界に活躍したほか、全国各地で珠算の指導にあたり、その普及と発展に尽力し、今日の珠算隆盛の基礎を築いた。ここに碑を建立して その功績を顕彰する

    昭和62年10月10日 社団法人 全国珠算教育連盟


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