穴太徳(あのうとく)が、加勢を頼んだ者の中に“武井のドモ安、玉手箱の長次等 黒駒勝蔵の身内で、総勢430人と云われたが・・・”とあった。穴太側に黒駒党が付くという。黒駒党ってどういう集団か?ムム・・・荒神山の決戦には背景があるのでは?と、読んだ本がこれであります。(名前の羅列でムツカシイ!)
富士川舟運を使って、甲州の米を江戸へ運ぶ、反対に塩荷を駿州から甲州へ運ぶ、この莫大な利益を生む流通路をめぐって、駿州と甲州の商人、なかには博徒まで入り込んでの紛争が絶えなかった。
甲州竹井村の中村家は郡中取締役を拝命している名家であり博徒でもあった。中村兄弟の弟 安五郎は罪を犯して流罪となったが、ペリー艦隊が浦賀に来航した混乱に乗じて島抜けし、黒駒勝蔵と硬い契りを交わした(というより、勝蔵が中村一家に弟子入りしている)。島抜けは大罪である。幕府の関東取締役出役 道案内国分三蔵は、安五郎を騙して捕らえた。安五郎は翌年牢死している。この恨みを引き継いだ黒駒勝蔵は、幕府に反発している。一方、幕府は一貫して勝蔵をマークしていて、清水次郎長らを使っての捕獲を企んでいた。これで、追手の清水次郎長とお尋ね者 黒駒勝蔵(黒駒党)の図式が出来た。荒神山の決戦も、この関係の代理戦争と云われる。江戸から明治へ、幕府側の次郎長に対して官軍派(討幕派が適切か?)の勝蔵という背景もあったのでございます。 つづく