戦後、諏訪公園の隅に建っていた“四日市幼稚園”。当時としては幼稚園自体が珍しがられた。沿革をたどってみよう。
① 明治28年 不動寺の一部を借りて、四日市町立幼稚園が設立、3歳以上の園児61名で発足。
② 明治30年 市制実施に伴い“市立四日市幼稚園”となり、当時 上新町の市役所西側の四日市裁縫女学校に建物に移転するが、不衛生なため休園。
明治33年 園舎は、改築されて再開。
③ 明治37年 四日市市役所東側の四日市市立高等女学校の敷地内に新築。
④ 大正6年 園児の増加で、四日市高等女学校の東北隅へ新築移転。
⑤ 大正13年 園児造花の為、中新町の第5小学校敷地の一部に新築移転。
⑥ 昭和21年 空襲で焼失。諏訪公園敷地内に新築。
⑦ 昭和37年 元町の現在の場所に移転新築。岡野繁松先生の地図
戦後“武徳殿”跡地に幼稚園が建つ。
園児の増加で2階建ての保育室と教室が増床される。昭和29年頃、団塊の世代第2弾が入園する。
オラはどーこだ?
つづく