四日市漫歩マップ⑩諏訪神社 其の2
空襲後、昭和21年の空撮。諏訪公園(白く写っている部分)ははっきりわかるが、諏訪神社は集中攻撃を受けたような瓦礫の山だ。 昭和31年頃。神社、公園とも 整地が進められている。1号線の拡幅工事が、神社前だけ遅れている様子だ。戦後復興の都市計画で、神社前から南への1号線と近鉄駅前の中央通り整備されつつある。 吉田紙店の諏訪神社前を撮った年賀状。大正期の神社前で、鳥居前は今と比べると広々している。...
View Article四日市漫歩マップ⑫四日市幼稚園 其の1
戦後、諏訪公園の隅に建っていた“四日市幼稚園”。当時としては幼稚園自体が珍しがられた。沿革をたどってみよう。 ① 明治28年 不動寺の一部を借りて、四日市町立幼稚園が設立、3歳以上の園児61名で発足。 ② 明治30年 市制実施に伴い“市立四日市幼稚園”となり、当時 上新町の市役所西側の四日市裁縫女学校に建物に移転するが、不衛生なため休園。 明治33年 園舎は、改築されて再開。 ③ 明治37年...
View Article四日市漫歩マップ⑭四日市幼稚園 其の2
四日市幼稚園の空襲当時の様子が、四日市市史第10号沿革誌より『罹災状況』に掲載されていた。罹災当時、敷地は高等女学校の一角にあった。名簿等の資料は疎開されていて無事であった。が・・・...
View Article四日市漫歩マップ⑮民衆駅構想
商工会議所100年史より“民衆駅構想” 近畿日本鉄道が、短絡化による駅舎建設に取り掛かったのは、昭和30年11月のことでした。この駅舎分離の影響で、国鉄四日市駅と周辺商店街利用者の激減が予測され、これに対抗しうる策として、魅力ある駅舎づくりが必要と考えられ、国鉄側から『民衆駅構想』が提案され、商工会議所も賛同した経過がありました。 国鉄四日市駅移転新築に関する件...
View Article四日市漫歩マップ⑯第二海軍燃料廠
第2海軍燃料廠は、昭和16年に操業が開始された。現在の塩浜地域、コスモ石油、昭和石油と三菱化学の一部の広範な地域を占めていた。日本最大の製油所を誇っていたが、すでに南方からの石油輸送が途絶え、完全操業には至らなかった。海軍燃料廠は空爆の標的となっている。 四日市市史研究第10集より...
View Article四日市漫歩マップ⑰第二海軍燃料廠日記
第二海軍燃料廠日記は、平田光男さんが、入廠されてから出征するまでの日記である。下総人さんから、太平洋戦争へ入る昭和16年12月7日から日記が途絶えているのではないか?というご指摘をいただいた。いやいや、平田さんは日記を書き続けていました。四日市の町にあまり関係がないという理由で、私が飛ばして紹介していました。その間の日記をかいつまんでご紹介します。 昭和16年12月8日(月)晴れ...
View Article四日市漫歩マップ⑱第二海軍燃料廠日記Ⅱ
昭和17年5月18日(月)晴れ 伊藤君と公用で外へ出る。郵便局の用件を済ませてから、塩浜の町の中を少し走る。近頃に珍しい饅頭を売っている店を見つけた。一人に一袋というのを二袋ずつ買って戻る。庶務のみんなに出してやる。今日僕の夏服が出来る日だ。気に入ったものが出来ていた。42円也支払う。給料の1か月分に近い。 昭和17年5月30日(火)雨のち曇り...
View Article四日市漫歩マップ⑲潮吹き防波堤
明治17年、稲葉三右衛門の手により四日市湊が完成。四日市〜東京間の定期航路船も多くなり、すでに明治15年には汽船の入港724隻、出港740隻にのぼり、明治22年には特別輸出港、明治30年には特別輸出入港に指定された。...
View Article四日市漫歩マップ⑳諏訪公園
四日市市史研究 第11号 “諏訪公園むかしといま”椙山 満 より 町の中心部にあり、東海道に面して建つ“諏訪神社”。境内の広さが、明治3年までは1088坪あった。明治38年の日露戦争の戦勝記念として神社裏の田圃を埋め立てて公園が開設され、詔勅「能く国家の光栄を無彊(むきょう)に保ち」から因んで“保光苑”と名付けられた。当初は1206坪の神社所属の公園であったが、明治41年四日市市有に変更された。...
View Article四日市漫歩マップ㉒崇顕寺と丹羽文雄
昭和32年発刊の“週刊朝日”で、浦松佐美太郎著“日本拝見 四日市”として丹羽文雄のことが書かれていました。再掲載です。 大正11年の地図 この頃は田畑が広がる...
View Articleイベント 四日市漫歩マップ
11月27日(土)・28日(日)の両日 スワマエ商店街で“「こみちびらき」と題してイベントを実施します。持続可能なイベントの試みであります。 四日市漫歩マップとして 掲載中の昔日の四日市を パネルで通りに掲示しようと製作中です。ブログの画面で見るのではなく 説明付きのパネルでご覧ください。お越しいただける方は是非ドーゾ
View Article四日市漫歩マップ㉓末広橋梁
お断り・イベント向けポップようですので 再掲載となっています スミマセン 鉄道橋、道路橋等の可動橋は、明治以来80に可動橋が造られてきたといわれているが、現存して稼働しているのはわずか3橋にしか過ぎない。そのうちで最も古いのが四日市港の千歳運河にかかる“末広橋梁(重要文化財指定)”である。...
View Articleオープンストリートインヨッカイチ
11月27・28日開催の“オープンストリートインヨッカイチ”のチラシが出来ました。 表参道スワマエの通りに“よっかいち漫歩マップ”の懐かしい写真と地図を展示致します 是非お立ち寄りください
View Article四日市漫歩マップ㉔スワ前通り
親父が健在だった時代だから もう30年も40年も昔のことだ 一人の老人が店を訪れた 昭和天皇御大典(昭和4年)の東海道筋を調べているという事だった 名前を増田武夫氏といい 親父と暫く話をして帰っていった その後 出来た冊子が“東海道往還”だった つづいて“浜往還”に取り掛かられた 一軒一軒足で稼いで作られたマップは 貴重なもので 当時を語るにはギリギリのタイミングだった 昭和35年のスワマエ...
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