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花の東海道⑤ 杖の話

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広重の“東海道53次”では、杖を持って旅する人の姿が目立ちます。どれくらいの人が持っていたのでしょうか。“東海道名所図会”(1797)“伊勢参宮名所図会”(1797)“江戸名所図会”(1834)などを参考にすると、男性は約3割程度の人が杖を持っています。歩行の補助という意味合いだけでなく、四国八十八カ所巡礼の際の『遍路杖』や西国三十三カ所の『巡礼杖』、また遊里に出かける場合のアクセサリーとして携帯される場合もありました。男性に比べると女性の携帯率は6〜7割にもなります。この場合もまた、お洒落として機能している場合がありました。

東海道53次 鳴海 有松絞 名古屋市熱田区  手前の女性は眉をおとしているので 後ろの娘の母親かも知れません

ではどうやって旅人は杖を手に入れたのでしょう。近世後期になると東海道は整備され、旅人は旅先で物が買えるようになりました。文化7年(1810)鍛冶屋村(神奈川県湯河原町)からお伊勢参りをした農民男性の旅日記に『松坂宿で50文、杖代』と記録が残っています。しかし、どこで売られていたかは分かりません。店で売られていたのか、売り子から買ったのか、宿で調達したのでしょうか。ひょっとすると耐久力が長い杖は、旅中で買い求める必要があまりなかったのかもしれません。現代では考えられないほどの旅人が杖を使っていますが、歩行が基本でしたから、持つ人は多かったのでしょう。

二川 猿ケ馬場(豊橋市) 三人の瞽女(ごぜ)の行く先には茶店があります 白須賀宿の西にある猿ケ馬場では“かしわ餅”が有名でした

駕籠かきも杖を持っています。アメリカの人類学者スタールは、大正4年の箱根での体験を記録しています。

十返舎一九著「善光寺参詣草津道中」より

「前と後ろの駕籠屋は対角線になっており、蟹の歩くように45度の角度で横に歩くように進む。また、私はこの時ほど息杖(駕籠かきの持つ杖のこと)の用途の万能なる物を見たことが無い。駕籠屋は一歩一歩、息杖を地に突き立て、行く。別に息杖に重みがかかっていくらしく思われぬ。面白いことに前後に振られるのではなく、むしろ左右に、脚下から肩のあたりまで半円形に振られるのである。それに合わせて駕籠屋の逞しい両脚は、撚?(よ)れつ 絡(もつ)れつ するように進む。」

“三島 朝霧” 早朝、箱根越えに向かう旅人 三島明神前の風景です

スタールの異文化からの眼差しでは、駕籠かきのスタイルが珍妙に見えたでしょう。しかし、これが長年の体験から編み出されたベストな方法だったのでした。


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