江戸時代、東海道を歩く旅人は1日平均30キロメートルを歩きました。この時履く“わらじ”は、藁で編んだ板に足を縄で括り付けるようなものですから、スリ傷は当然だったでしょう。
“草鞋(わらじ)”の履き方です。
作り方も紹介されていました。
わらじをあんで、はいてみよう|工作|自由研究プロジェクト|学研キッズネット (gakken.co.jp)
旅のガイドブック「旅行用心集」では「旅の序盤は草履の加減を確かめながら少しずつ歩くべきだ。3~4里歩いて不具合が生じたら、一旦脱いで初めから結びなおす。それでだめならより良いわらじに変えよ」と書いています。足になじまない草鞋を履き続けると“草鞋食い”(草鞋の緒で足の皮がすりむけること)になります。“東海道中膝栗毛”の中では「はきつけぬ草鞋で、コレ見や。あしぢゆうが豆だらけになった。わらじのひもがけへこんだのだ」とあります。
広重“東海道53次”より“吉原(静岡県富士宮市)”
こうした危険を回避するために、ツュンベリーは「足の甲がこの紐で擦れないよう、その上にリンネルの布が巻かれているものもある」と記しています。
馬も草鞋を履いています
東海道を旅するひとのほとんどが草鞋(わらじ)を履いていましたが、1割ほどが草履(ぞうり)を使用していました。ただその人は、草履と草鞋を交互に履き替えていたようです。なぜ履き替えたのかは、はっきりしません。
草鞋の交換時期は40〜50キロメートルが平均で、天候が悪くぬかるんだ道ではもっと短かったようです。そして、道中何処ででも売られていました。
江戸名所図会より
泊まった宿場や、立ち寄った茶屋などでは軒先に吊るしてあり、馬用の草履もありました。
また“草履売り”がいました。この絵は子供の草履売りで、下の絵は、草履売りの訪問販売です。値段は10文から30文で、当時大工の日当が食事付きで500文ほどでしたから300円〜1000円くらいだったのでしょうか。
ところで、使用済みの草履はどうしたのか?『江戸名所図会』を見ると、街道沿いの木の下に捨てるところがあって、近在の農家が良い肥料になるので回収していました。エコですね。
木の下に使用済みの草履が積んであります(江戸名所図会より)