四日市漫歩マップ 番外 参勤交代
格式のある本陣は、一般の人を泊めることが出来ず“客引き”も禁止されていることは前回述べました。“本陣”はその名の通り戦陣の本営を意味していて、民家でありながら表門や書院造の上段の間など武家建築が許されていました。 豊橋 二川本陣...
View Article四日市漫歩マップ 番外 本陣の朝
“東海道五十三次 関 本陣早立”歌川広重画より 亀山市関町の早朝の様子です、出立前の緊張した雰囲気が漂っています。右手前に立てられているのは“関札”で、前もって到着する“宿割役人”は、藩の家紋を染め抜いた幔幕と提灯を持参しているのでしょうか?この幕は、丸に“田”と“中”を組み合わせた紋になっていますが、実は、広重の実家の紋で、緊張感の中に遊び心を取り入れています。...
View Article花の東海道①ナンバ歩き
江戸末期から明治初年にかけて来日した外国人は、日本人が奇妙な歩き方をしていたと話しています。“ナンバ”歩行?について、演劇評論家の武智鉄二氏は、このように述べています。 「歩く江戸の旅人たち」谷釜壽徳氏著...
View Article花の東海道② ナンバ走り 其の二
2006年3月17日のブログにも、“ナンバ走り”のことは書いていました。下総人さんに発見いただきました。感謝です。 走る! - 花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) この時初めて総務部長さんに“ナンバ走り”のことを教えていただきました。幕末から明治初期になり、初めて行進の仕方を学んだ日本人。当時は無理やり教え込まされて困惑した人も多かったことと想像できます。...
View Article花の東海道③ 下駄の話
明治初期に来日した西洋人は、日本人の多くが音を立てて歩くと記録に残しています。ツュンペリー氏は「草履にはかかとの部分がないので、歩くとスリッパのようにパタパタと音がする」。またスミス氏は「履物のかかとは留めていないので、石の歩道を歩くとき履物が上ったり、下ったりし、通りの人ごみの中を進むとき絶えずやかましい音を立てる」と書いています。...
View Article花の東海道④草履(ぞうり)の話
江戸時代、東海道を歩く旅人は1日平均30キロメートルを歩きました。この時履く“わらじ”は、藁で編んだ板に足を縄で括り付けるようなものですから、スリ傷は当然だったでしょう。 “草鞋(わらじ)”の履き方です。 わらじの履き方 ㈱くまがい (la9.jp) 作り方も紹介されていました。 わらじをあんで、はいてみよう|工作|自由研究プロジェクト|学研キッズネット (gakken.co.jp)...
View Article花の東海道⑥日本橋
巨木の並ぶ街道を、駕籠かきが通ります。作者・年代とも不詳 (長崎大学附属図書館) 歌川広重 東海道53次 の旅立ちは日本橋です。木戸が開けられた早朝、済んだ空の下を大名行列の出立です。左に高札が立ち、その前を棒手振りの魚屋が通ります。日本橋の北詰一帯は魚河岸となっていました。緊張感漂う中で、右側の二匹の犬が雰囲気を和らげています。...
View Article花の東海道⑦日本橋界隈
前回掲載の写真は“尾張屋江戸切絵図’(安政・文久)”で、どの位置にあたるでしょうか? ①の位置 日本橋南詰(明治33年)の風景。手前に建つのは東京火災保険。高札場の跡だったんですね。 ② 下の写真。左が江戸橋。左右に流れるのが日本橋。正面が西堀留川河口に架かる荒布橋。 下の江戸切絵図では③になります。北側の地域ですか。 江戸切絵図で④の位置です...
View Article花の東海道 番外 半次捕物控 その一
絶え間なく降りそそぐ秋の長雨が続いていて、時折突風が手にしている傘(からかさ)を吹き飛ばそうとする。佐藤雅美著“半次捕物控 影帳”より 冒頭部分 この前はひどい暴風で柿板(こけらいた)が何枚か吹き飛び、とりあえずのところごまかしたばかりだというのにまた雨漏りに悩まされそうだと、つまらぬ心配をしながら半次はいつものように道をまっすぐいこうとしたのを思いなおして右におれた。...
View Article岡崎QURUWAエリア視察
中央エリアが”Q”の字になっている 2015年はじめられた 岡崎市の乙川リバーフロント地区公民連携まちづくり状況を視察した。 市民が集い、愛着を持ち、住みたくなる街を目指して、岡崎市は乙川を軸にKURUWAプロジェクトを進めている。 諏訪振興組合一行は 東岡崎市で降りる。 駅前のデッキになっている”オト リバーサイドテラス”を渡って乙川の南側を東へ 市役所で説明を聞いた後再び駅へ戻り...
View Article花の東海道⑧ 神奈川宿
神奈川宿は江戸から七里、十時半睡(とときはんすい)の一行は日本橋を出立してから28キロメートルを歩いてきたことになる。当時の道中は暁闇(ぎょうあん)から歩き始めて日暮れまで十里、つまり40キロメートルが平均速度とされていたから神奈川で泊まるのは早すぎることになるだろう。しかし半睡にはこの旅を急ぐつもりは全くなかった。 “十時半睡事件帖 東海道を行く” 白石一郎著 講談社文庫...
View Article花の東海道⑨戸塚宿
境木を超えると戸塚の宿場へ入る。此処も平坦な街道ではなく上り下りの多い山坂道である。しばらく歩くと柏尾川が流れて大きな橋が架けられており、その手前に道標が立ち「左り、かまくら道」と読める。大きな茶屋があり、鎌倉へ向かう人々はここでひと休みして、川沿いに街道をそれて歩きはじめるのだろう。往来の人々の姿が多くなっていた。 戸塚のこめや付近 戸塚は最初...
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