神奈川宿は江戸から七里、十時半睡(とときはんすい)の一行は日本橋を出立してから28キロメートルを歩いてきたことになる。当時の道中は暁闇(ぎょうあん)から歩き始めて日暮れまで十里、つまり40キロメートルが平均速度とされていたから神奈川で泊まるのは早すぎることになるだろう。しかし半睡にはこの旅を急ぐつもりは全くなかった。 “十時半睡事件帖 東海道を行く” 白石一郎著 講談社文庫
此処は急な上り坂の道がつづく。右手は山が道に張り出し、左手は海に面した断崖である。神奈川台と呼ばれるその海際の断崖に旅籠や料理茶屋がびっしりと軒を並べている。
神奈川台場の関門(厚木市郷土資料館蔵)幕末 F・ベアト撮影 江戸内湾を望む神奈川の台場には茶店が建ち並んでいた。台町を過ぎると江戸湾内に分かれをつげる。
一行が半里といかないうちに人家が目立ちはじめ、やがて宿場の入口に達した。どの宿も赤や青の暖簾を派手にひるがえし、店頭にはたすき掛けの女たちが呼び込みをかけてくる。
「お休みなさいやあせ。とりたての魚がございやあす」
神奈川宿の入り口(東京都写真美術館蔵)幕末 F・ベアト撮影 右手は海側、左手は山側である。神奈川宿は湊町を持つ宿場として発展した。明治期には海が埋め立てられて眺めが一変している。
みると料理屋の軒先に大きな鯛やひらめが吊り下げてあった。旅籠をみると厚化粧に女たちが片膝竪で格子の向こうに座り、往来の男たちに手招きしている。旅籠というより遊里の気配が濃い。
広重 神奈川 “台”とは 神奈川宿の西の高台のことで、海を望む眺めが美しいことで茶店が軒を並べていました。店先で茶店女が客引きをしています。坂の中ほどの店は海に面した軒先も描かれており、提灯も見えます。お客はここで海の眺めを楽しんだようです。
参考にさせていただきました(四日市図書館蔵)当時の雰囲気が写真を通してよく理解できます