境木を超えると戸塚の宿場へ入る。此処も平坦な街道ではなく上り下りの多い山坂道である。しばらく歩くと柏尾川が流れて大きな橋が架けられており、その手前に道標が立ち「左り、かまくら道」と読める。大きな茶屋があり、鎌倉へ向かう人々はここでひと休みして、川沿いに街道をそれて歩きはじめるのだろう。往来の人々の姿が多くなっていた。
戸塚のこめや付近 戸塚は最初 宿場ではなかったが慶長5年(1604)に宿駅となった。
戸塚は江戸から十里半、小田原へ十里という地点にあり、旅人の一日の行程にちょうど適した距離である。江戸からの旅人の多くはここで一泊めの宿をとる。二泊めは小田原、そして箱根の関所へ向かう。
Fベアト撮影 戸塚宿 (年代不詳)
戸塚の宿場は賑やかだった。七十五軒という旅籠が軒を並べている。茶屋や土産物屋の店も多い。同行の喜兵衛は「本陣や脇本陣は窮屈でならぬ。なみの旅籠にせよ」と半睡に言い含められている。門構えもいかめしく、玄関や書院までを備えた屋敷ではおもしろくも何ともない。しかし、一般の旅籠は“飯盛女”と呼ばれる娼婦を置いたところが多く、それでは遊女屋に泊まるのと変わらない。
旅籠を探しに行った喜兵衛が駆け戻ってきて、大きくはないが落ち着いた旅籠に草履を脱いだ。
十時半睡事件帖 東海道を行く 白石一郎著 より
広重 東海道五十三次 戸塚