箱根宿は江戸から歩いて二十四里二十八町、東海道の十番目の宿場である。 十時半醉事件帖 東海道を行く より
芦ノ湖と箱根宿
箱根八里の険しい山越えのために設けられた宿場で、幕府は奈良時代に建てられた箱根権現社の門前町であった元箱根を宿場に出来ず、芦ノ湖のほとりの原野を開拓、箱根山の東西にある三島宿と小田原宿から五十戸ずつの人家を移住させて箱根宿とした。山上なので農業が出来ず、旅籠や茶店で生計を立てるしかなかったが、徐々に人家は増え始めた。もちろん、中心となるのは関所である。天下第一の関所として日本中に知られていた。
箱根宿 慶応3年 ベアト撮影
十時半醉の一行は、早朝に小田原を出立して四里の山坂道を超え、まだ日の高いうちに関所の手前にたどり着いた。
「どうじゃな、まだ日も高い。箱根の権現様にお詣りをしてゆくとするか」
箱根沿道 F・ベアト撮影 幕末
広重の箱根