花の東海道⑪ 東海道を東海道で
先月のイベントで 四日市の漫歩マップを アーケードの柱に貼ったら、寒い中 結構な人が見ていただいていた。感謝です。 ところが剥がそうと思ったら 両面テープがべた付いて取れない。仕方がないので 毎日少しづつ剥がしております。 で次は、お正月に間に合うよう 東海道のポップを製作中です。凝りませんなぁ! 追記:道路が 見る見るうちに 雪で白くなってきました 今夜は積もりそうです
View Article花の東海道⑫三重川
広重の絵に出ている橋が 現在の三滝橋と思われていました。十年程前の講習会で 博物館学芸員の広瀬毅さんから この図の橋は、河口付近であることをお聞きしました。 橋の先には十里の渡しがあります。人家の並ぶところが蔵町、前の道は浜往還で 札ノ辻へとつながっていました。
View Article花の東海道⑭ 今年もお世話になりました
コロナに始まり コロナに終わる1年でした 次の年こそ 希望溢れる年になります様 皆様のご多幸を 心よりお祈り申し上げます 今年もお世話になりました 来年も 宜しくお願い申し上げます 丸子宿名物 とろろ汁 喰えるものならいただきたい 三島宿は なんと云っても 女郎衆でしょう 掛川の凧揚げは 今でも盛んです
View Article謹賀新年
あけましておめでとうございます 旧年中は、皆様の並々ならぬご厚情にあずかり 深く深く感謝いたしております 今や 当ブログは わたくしの生きがいの50%(訂正:5%)を占めるに至りました これからも 懸命の精進を重ねてまいる所存です 今年もご愛顧のほど よろしく おん 願い奉りまする 龍神湖からのダイヤモンド富士 ってダイヤモンドが欲しい・・・てれび 諏訪神社 年越しの雪が解け始めました...
View Article花の東海道⑮箱根駅伝
1月2日。青山学院が2年ぶりの優勝。箱根駅伝を観ていたら“酒匂川(さかわがわ)”が登場しました。 橋の東詰めに「さかわ川」の表記版が立ちます 小田原の手前に流れる川で、水の少ない季節のみ板橋が架けられていて、普段は人足が担いだりして川を渡していました。江戸時代は風情がありました。現代は、どこを見ても同じような風景が続きます。 広重の五十三次 小田原...
View Article花の東海道⑯石薬師
石薬師寺は、弘法大師作と伝わる石造りの薬師如来がご本尊です。手前田圃道を左上へ辿っていくと、寺の門が見えてきます。馬子が武士らしき客を乗せて、寺の前を通り過ぎます。この左右の道が東海道にあたります。 山門の前に、紫色の標柱が立っていますが、本来は石造りのはずが、広重は良く目立つように紫に仕上げました。...
View Article昭和33年お正月テレビ番組は?
昭和33年から35年にかけて、テレビはまだ何軒かに1台の普及率でした。勿論、我が家にもまだ無く、近所に出かけて鑑賞させていただきました。お正月、家族揃ってテレビの前に集まるのは、もう少し後になります。...
View Article昭和33年お正月の映画館は?
ポケットラジオが意外に高い! 昭和33年1月3日付の中日新聞に、ゼネラル電機の広告が掲載されていました。ところが、初めの挨拶文の左半分がコピーされなかったため、半分の文面で残りを想像するしかありませんでした。...
View Article昭和33年 ニュース劇場は?
昭和31年9月、諏訪駅が廃止されて、津方面から伸びた線路は、塩浜駅方向からまっすぐ斜めに新設の近鉄四日市駅へ入った。中央通りの完成である。完成と同時に諏訪新道にあったオカダヤは駅前へと進出した。昭和33年のことである。...
View Article昭和23年 多羅尾伴内は?
昭和21年封切られた片岡千恵蔵の“多羅尾伴内シリーズ”は、東映でなく大映作品だった。米進駐軍の指導で、当分は刀を振り回す作品は禁止となり、このシリーズが考案されたのだった。しかし、大映の永田社長は「多羅尾伴内ものなど幕間のつなぎであって、わが社は今後、もっと芸術性の高いものを製作してゆく所存である。」と言明した。 東映作品...
View Article昭和23年 藤村大造は?
昭和23年の大映映画 東映時代になると変装役は変わる 昭和23年大映で封切られた“多羅尾伴内 二十一の指紋”に、わが目を疑いたくなるようなシーンがあった。 行き倒れの老人が子供たちに運ばれてくる。薬を必要としているという事だ。「まさか、あの薬じゃないだろうね。」ところが、あの薬なのだ。 背景の高架を1両編成の電車が走る 老浮浪者に変装した藤村大造...
View Article昭和6年 四日市小唄は?
市井からの眺め 四日市小唄 - 花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) 北野保著「よっかいち歴史浪漫紀行」より 以前 当ブログに掲載しましたが、「四日市小唄」の10番までが、湊地区連合自治会発行の「思案橋」に掲載されていました。...
View Article昭和21年 瓦礫の中に建った近畿館
これは、昭和21年か22年頃の空撮です。おそらく米軍が撮ったものと推測されますが、すでに諏訪駅が出来ており電車が走っているようです。諏訪駅の南に、大きな建物がハッキリと確認できます。瓦礫の中から、いち早く近畿館は建ちあがりました。 昭和21年頃...
View Article昭和32年 美空ひばりが来た夜
昭和32年7月24日、諏訪劇場周辺は興奮の渦に包まれました。あの、美空ひばりがやってくるというのです。劇場には大勢の人が押し寄せました。入り口付近には用心棒らしき男の姿が見え、険しい目つきでこちらを睨んでいます。辻さんは、よくぞカメラを向けたと思います。...
View Article昭和34年 月光仮面 怪獣コング
昭和33年、浜田小学校から“諏訪劇場”だったと思います、東映初のアニメ“白蛇伝”を観に行きました(学校で上映されたこともあった)。当時は“文部省選定”とか“文部省特撰”作品が、授業の一環になったものです。そういえば、捕鯨の映画を学校で観た記憶がある。鯨は捨てるところがない、日本にとって大切な資源です という事を教えられた。あ、南極観測船「宗谷」の映画もあったなぁ。...
View Article昭和34年のグリーンモールでは?
東は東海道と、西の突き当りは諏訪劇場に挟まれた、現グリーンモールは、約20軒の店舗が両側に並ぶ商店街で“諏訪中央商店街”と呼ばれていました。家からも近く、浜田小学校への通り道であったことから、思い入れも多い街です。...
View Article映画館跡ツアー
四日市劇場跡にて、2018年「伊勢新聞」に掲載していただきました 例年3月には、男の囲炉裏端様にはお世話になっております「懐かしの映画館跡巡り」シリーズ、2017年第1回が始まって、映画館跡巡りは、今年で5回目のお世話になりますか・・・。毎回お越しの方もお見えです。さて、今年は、どんな趣向にいたしますやら。
View Article昭和38年 お正月の映画館は?
昭和38年は、名四国道が開通した年であり、四日市市がロングビーチ市と姉妹都市提携を結んだ年でもありました。お正月の映画興行はどうだったでしょうか?テレビの普及で、昭和四〇年代になると、映画界は下火に向かいました。 東映は、この先ヤクザ路線へと入ります。四日市シネマは、ウエスト・サイド物語、三重劇は、世界残酷物語を上映中です。お正月だけあって』、話題作が並びます。
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