1月2日。青山学院が2年ぶりの優勝。箱根駅伝を観ていたら“酒匂川(さかわがわ)”が登場しました。
橋の東詰めに「さかわ川」の表記版が立ちます
小田原の手前に流れる川で、水の少ない季節のみ板橋が架けられていて、普段は人足が担いだりして川を渡していました。江戸時代は風情がありました。現代は、どこを見ても同じような風景が続きます。
広重の五十三次 小田原 酒匂川を見ますと、豆粒ほどの人間が川を渡している様子が、生き生きと描かれています。手前、肩車をされて川を渡る槍持ち男。渡し賃も廉価です。輦台(れんだい)を四人の人足が担いでいる手摺りのないのを“平輦台”といいました。そして、駕籠になると十二人の人足で担がれました。“中高欄輦台”といいます。この上のランクになると十六人以上で担ぐ“大高欄輦台”がありました。将軍クラスが乗ったのでしょう。酒匂川を渡った先に、葦の原が広がり、その先 箱根の山を背景に小さく小田原城が見えます。小田原宿を超すとけわしい箱根越えが待っているのです。