昭和33年から35年にかけて、テレビはまだ何軒かに1台の普及率でした。勿論、我が家にもまだ無く、近所に出かけて鑑賞させていただきました。お正月、家族揃ってテレビの前に集まるのは、もう少し後になります。
昭和33年、1月2日のテレビ欄です。どんな年だったでしょうか?5月に礒津漁港が完成。6月に地方裁判所が中央道路沿いに竣工しています。11月、商工会議所が火災に遭いました。浜田小学校の校舎から立ち上る煙を眺めていた記憶があります。隣が税務署でした。
舞踏、漫才と落語など、お正月らしい番組が並びます。
昭和34年元旦の中日新聞テレビ欄です。東海テレビが新規参入です。4月には皇太子殿下のご成婚があり、この頃から一気にテレビが普及し始めました。3月に市民ホールと国鉄四日市駅の起工式が行われています。8月、四日市港開港60周年を記念して「港まつり」が、「商品まつり」と「七夕まつり」に合体して開かれました。忘れてならないのはこの年9月、伊勢湾台風が夜に来襲し、東海地方に大きな被害が出ました。御在所のロープウェイが完成した年でもあります。
東西寄席中継はこの頃から放送されていたんですね。夢二いとし、ペギー葉山、フランキー堺、三遊亭金馬などの名前が並びます。4時から「1丁目1番地」をやってますね。「三丁目の夕日」と重なる頃です。
昭和35年、戦後が一段落して経済活動が活発化し始めました。2月中部電力火力発電所の4号機着工、近鉄百貨店開業、日本合成ゴム竣工、名四国道起工、市民ホール開館、火災に遭った商工会議所が竣工、市営住宅公社発足。また、四日市公害によるぜんそく患者が増加して、公害防止対策委員会の初会合が開かれました。日活映画「電光石火の男」が公開、赤木圭一郎や浅丘ルリ子がロケの為、34年に来四していました。
三国一郎、大空真弓、岡田真澄、小林千登勢、柳谷金語楼など、お顔が浮かんできます。「孫悟空」や「三国志」等の人形劇もよく放送されていました。