昭和32年7月24日、諏訪劇場周辺は興奮の渦に包まれました。あの、美空ひばりがやってくるというのです。劇場には大勢の人が押し寄せました。入り口付近には用心棒らしき男の姿が見え、険しい目つきでこちらを睨んでいます。辻さんは、よくぞカメラを向けたと思います。
美空ひばりは、昭和29年『ひばりのマドロスさん』で第5回紅白歌合戦に初出場しました。昭和30年には江利チエミ、雪村いずみとともに東宝映画『ジャンケン娘』に出演したことを契機に、「三人娘」として人気を博し、親交を深めます。昭和31年、ジャズバンド小野満とスイングビーバーズの小野満と婚約。その後、この婚約は破棄となりました。初の那覇公演を沖縄東宝で行い、1週間で5万人を動員。離島からのファンで那覇港は大混雑しました。
昭和32年1月13日、浅草国際劇場にて、ショーを観に来ていた少女から塩酸を顔にかけられ浅草寺病院に緊急搬送されて入院しました。現場に居合わせたブロマイド業者らによって塩酸をかけた少女は取り押さえられ警察に引き渡されました。犯人の少女はひばりの熱烈なファンだったということです。この事件をきっかけにひばりは、山口組の田岡にボディガードを要請し、代わりに興行権を神戸芸能社に委ねます。(この年の昭和32年4月27日、小野満とシックスブラザーズを伴い、四日市の諏訪劇場に来ています)その後、歌舞伎座公演に復帰(奇跡的に顔に傷は残りませんでした)。また、紅白の裏番組として放送されていたラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)の『オールスター大行進』に出演していたため出場していなかった紅白歌合戦に3年ぶりに出場し、出場2回目にして渡邉はま子、二葉あき子らベテラン歌手を抑えて初めて紅組トリ(大トリ)を務めあげ、当時のひばりは既に芸能界における黄金期を迎えていました。ウィキペディアより
この日、諏訪劇場では、大映作品の“女の肌”(川口松太郎 原作 島耕二 監督 京マチ子・淡島千景・根上淳)を上映中でしたが、急遽“美空ひばり 歌謡ショウ”に切り替えられました。