平成元年に発刊された“旧四日市を語る”は、岡野繁松先生をはじめとする皆さんの“戦前の四日市”語りの場であった。全巻は、図書館で閲覧できるが、第1集から抜粋させていただいた。
湊座・・・新丁のすずらん通りにあった。前にある小屋で木戸銭を払うと、大人、小人と書いた木札を貰う。木戸でこの札を渡してはいる。下足番に下駄を渡すと下足札をくれる。こうして畳の桟敷に行く。舞台は額縁式で回り舞台、花道は本・副の二本あり、本格的な芝居小屋であった。西側には茶屋があり、お茶子が忙しく立ち働いていた。拍子木の音で幕が開き、閉まり、下ろされた。(後の四日市東宝劇場)
昭和3年の湊小路 正面に湊座が・・・
世界館・・・中町にあって明るかった。浅井さんという活動弁士がいた。この付近は情緒があった。
菊水館・・・中町の世界館の北にあり、下は商店で二階が劇場だった。劇場といっても寄席である。桟敷ではなく、畳が広いところに敷いてあるだけで、舞台もお粗末であった。ここで三年生の時だったか五銭出して童話を聞いたことがある。
弥生座・・・南町 西新地にあった。小林キネマ直営で、東亜、松竹を封切っていたようである。横に茶屋があった。
帝国館・・・幸町にあり、安くて映画が観られた。大人十銭、子供五銭だったと思う。情緒のある川村小路を抜けて映画を観に行った。(後の四日市劇場)
川村小路ってどこだろうか?
川村鉄工所沿いの道(郵便局から南へ入る)踏切には、ふみきりさん がいた。この地図は大正初期のもので、当時まだ帝国座はできていなかった。