岡野繁松先生の“旧四日市を語る”第一集より
大正11年8月の辻風景 南向き
東海道と浜往還の交差している場所を“辻”と呼んだ。辻を中心として北は北町で三滝川へ、南は南町から新田町を経て諏訪駅へ、西へ上ると西町の地蔵さん(明治橋の南下)へ、東は竪町・西中町・東中町・浜町へと商店が多く続き、辻の周辺は繁華街の感があった。
北町、南町は、東海道筋とあって遊郭、貸座敷、芸妓置屋などが軒を並べていてなまめかしさを感じさせた。肉屋、薬屋、呉服屋、小間物屋、下駄屋、そして医者ありで店舗が多かったわりには北町の夜は華やかな明るさはなかった。南町も同様だった。しかし、辻あたりになるとぐっと明るさを増した。
札ノ辻から東へ 竪町筋(昭和3年11月)ポンプ井戸と その東には まるや足袋店
西町は商店が多いわりに岡田屋の付近を除き夜は早くから暗い様に感じた。
辻から東にかけては商店が軒を並べていた。辻の北東角には大きな井戸があって、この一角だけが暗く、隣の“まるや足袋”の店の明るさと対照的であった。辻から東の“三味太楽器店”までは道幅はやや広かったが、“伊勢屋”からは狭くなり、その道幅は東中町の東端まで続いた。
西中町筋
中町筋は“中町銀座”と銘打っていたほど賑わいをみせ、その中心は“大正バザー”と“東洋バザー”であった。
実業会館から東へは道幅も少し広くなって浜町へと延びていたが、人通りも少なくなり夜の灯も消えたようであった。小学三年生の時だったか、先生に引率されて十二月の大売り出しの中町通りを見学した。
昭和2年中町銀座
昭和3年 御大典祝いの中町銀座
「歳末大売り出し」の幟の間を縫って歩き、チンドン屋に見とれたものだった。学校へ帰ってから図工の時間に町の様子を描いたが、みんなが幟ばかりを大きく描いていたのが頭に残っている。
東中町筋 山城屋が中央南側にあり その右に大正バザーが建つ 実業会館(四日市商工会議所)はその先(東)にあった
昭和10年 中町銀座通りの夜景