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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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掖済会横の石灰工場②

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昭和9年、菰野に在住していた金津さんは、小学2年生の時に旧港に停泊した“潜水戦隊入港旗艦(訂正:巡洋艦)『由良』を見学するため、学友三人で見学に出かけた。友達のお父さんは、リヤカーに三人を乗せた自転車で出発した。

軽巡洋艦“由良”

菰野から水田の中をまっすぐ東へ進み、(ここで潤田の凱旋門を通るとあったが、今でも道の両側に建つ石柱がそれではないかと思う)県小学校の南側の人家に挟まれた狭い道を行く。松林を通り過ぎると左側に“パラダイス果樹園”という梨畑と人家があったと書いている。現在の坂部温泉南の坂を下り、江田神社で休憩する。東坂部に建つ煉瓦造りの古めかしい製糸工場を過ぎると、四日市の工場の煙突が見え始めた。そのまま365号線を東へ進み、高い煙突の立つ“末永のごみ焼却場”の前を通る。焼き場と土堤防の間には灰が積んであって、焼けた空き缶が混ざっていた。少し行くと“三滝川の川向こうに変電所が見えた”と書いているが、現在の堀木町にある「中部電力 電力センター」のようだ。そして、近鉄線の踏切を渡り、西町から町中を通らず、三滝川沿いに旧港へ向かっている。まっすぐ行く方が近そうだが、辻から続く竪町、西中町、東中町の混雑を避けるためだろう。

昭和4年

国鉄のガードをくぐり、工場の煉瓦塀に沿って行くと稲葉町へ着いた。お世話になる友人の高森家は砂利運搬業をしていた。

昭和53年

小学二年生の金津君が、敷石の上に乗って飽きもせず興味深く眺めていた石灰工場は、船で運ばれてきた石灰石を生石灰に精製していたと思われる。ネットで検索すると・・・生石灰の主成分は、酸化カルシウム(CaO)で白色の塊状または紛状です。山から採掘した石灰石を水洗・篩い分けした後、焼成炉の中で900℃~1000℃の高 温で焼いて作られます。

焼成炉は、石灰を作るために最も重要な装置です。大まかに分けて立型炉と横型炉(ロータリーキルン)とがあります。近代化されるまでは土の中に穴を掘って炉として用いられた土中炉というものが多く見られました。

現在

“由良”見学の後、金津さんは四日市を後にしている。末永ゴミ焼却場の高い煙突が、四日市に別れを告げる境と感じたそうだ。お世話になった稲場町の高森さんは戦争で亡くなられ、同行の友人は中国上海近くで警備中戦死、石灰工場の井高さんは、戦後、大井の川縁で廃油工場を経営してみえたが、火事にあっている。金津さんは井高さんを訪ねることが出来たが、病気療養中であったため詳しいお話を聞くことが出来なかった(平成10年現在)とあった。

旧港に立つ案内板より

①から北方向に見た風景

②から東方面を撮る 大協橋が架かる

私は、掖済会の空撮写真を、是非、金津さんに見ていただきたいと電話したが、その番号は現在使われてなかった。

左画面外が旧四日市港


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