水谷さんが“旧四日市を語る 第二集”に寄せられた 西町駅のスケッチ。南向きとみられる。
水谷さんに西町駅の話が聞きたくて、お宅へ伺ったがお住まいの様子がなかった。
諏訪駅を出た伊勢電鉄 桑名行は大きく西から北向きに進路を変え天理教会前を通過。遠く西に堀木斎場の煙突を眺めながら速度を上げ、三滝川堤へと上って行く。登り切った三滝川手前に“西町駅”があった。水谷さんの文章では、プラットホームに収まり切れず行き過ぎる若い運転手さんも居たという事だが、登る勢いもあって停車線で停めるのは難しかったと想像される。諏訪駅から西町駅間の距離は約850メートル。西町駅から次の川原町駅までは、わずか500メートル弱である。川原町は万古焼の工場地帯だが、西町駅は、なぜ造らなければならなかったのか?
西町はその名の通り戦前のメイン通り“浜往還”への西の入り口である。前出の菰野在住の金津さんは、リヤカーに乗せてもらい菰野方面から末永のごみ焼き場前を通過して、明治橋から四日市の町中に入っている。坂を下り浜往還から港へ向かうのが普通だが、リヤカーは人込みを避け三滝川堤防沿いを掖済会方向へ向かった。
西へ行くと 上の道は菰野へ 下は堀木へ続く
右へ進むと札ノ辻へ出る
往年の映画監督である衣笠貞之助も、幼少の頃住んで居たことがあり、ここから諏訪神社へお祭りを見に出かけと聞いた。戦後の話であるが、逆に自分が母親に手を引かれて西町のお祭り見物に行った記憶がある。通りは大勢の人ごみで、各店舗のウィンドゥには、鯉の滝登りのように趣向を凝らした作り物が展示してあった。
地蔵堂と御旅所を北向きに
そして西町は、四日市祭りの最初の神事、“御旅所”のあるところでもあります。