ここは、諏訪駅構内のどこか?
<想像譚>日曜日、諏訪劇場で“東映まんが祭り”の第1回上映が終わった。劇場からあふれ出た人々の一部は辻写真館の瀬古を通り、諏訪駅南側へ出る。八王子線の通過を待って線路を渡り、川村鉄工所の横から 近鉄線のホームをまたいで、左右を見ながら線路を横断した。渡ったところは、カトリック教会。そのまま進むと諏訪公園西側に通じる。
ということで たいじゅ様からコメントをいただきました。
2枚目に掲載の諏訪駅構内の写真、
画面中央に学生らしき人が渡っている手前の通路も含め合計3本の連絡通路?らしきものが写っています。現代の常識で考えると、これらの通路はそれぞれの乗り場に行き来するための駅内連絡通路だと考えますが、別アングルからの他の諏訪駅写真と照合するとどうも乗客の駅内連絡通路のみでなく一般市民が線路を横断するための「踏切」的要素もあったように見受けられる(つまり誰でも駅ホーム内に進入する事が出来る)のですが、当時を知るタケオ様に実際のところはどうだったのかご意見をお伺いしたくコメントさせて頂きました。・・・もし本当にこれだけフリーに駅内に入れるのであれば改札はほぼ無意味ですね(笑)大らかな時代だからこそ、ということなのでしょうか。 たいじゅ
自分も不思議に思っておりました。諏訪駅の入り口がスコスコなのです。自転車置き場の横から自由に出入りできるみたいです。諏訪劇場から辻写真館さんの瀬古を通って、湯の山線の踏切を横断。川村鉄工所の東側を抜け、近鉄線のホームを越えて、近鉄線を横断して諏訪公園西に向かったのか?街の真ん中に 俄に出来た駅だけに、行き来は 案外 自由だったのかも知れませんねぇ
水野先生が、旧四日市を語るに投稿、戦前の諏訪駅を図にしてみえました。東海道沿いの旧駅と、昭和17年に出来た新諏訪駅の位置が描いてあります。八王子線の引き込み線が、東海道迄延びたまま残っています。
戦後になると この引き込み線の跡には 近鉄線を背に(三泗百貨店の向かいに)小さな店舗が並びました。水野さんも引っ越され、その跡にキタオカさんの店舗が出来ました。
<追記>当店で まちゼミをします。ぜひぜひお越しください。
思い出話に花を咲かせましょう!