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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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諏訪駅の?何処だ!④

ここは、諏訪駅構内のどこか? <想像譚>日曜日、諏訪劇場で“東映まんが祭り”の第1回上映が終わった。劇場からあふれ出た人々の一部は辻写真館の瀬古を通り、諏訪駅南側へ出る。八王子線の通過を待って線路を渡り、川村鉄工所の横から 近鉄線のホームをまたいで、左右を見ながら線路を横断した。渡ったところは、カトリック教会。そのまま進むと諏訪公園西側に通じる。 ということで...

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諏訪駅の?何処だ!⑤

諏訪駅東の様子は以前から聞き書きしていたのですが、川村鉄工の建つ西側は分からないことが多いデス。ただ、諏訪駅が撤去された跡地が「随分広いなぁ」と思ったくらいでした。(当時少女だった方にお聞きすると、駅から西は風紀が悪い(赤線地帯の港楽園があった)から行かないように言われていたそうです) 再び、たいじゅ様からコメントをいただきました。...

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諏訪駅の?何処だ!⑥

平成5年に発行の“旧 四日市を語る会 第4集”に、杉田さんが投稿しておみえで、東海道沿いにあった旧諏訪駅の様子が書かれています。杉田さんの住まいは、駅舎前のすぐ東で、隣の“青木”宅には、私の小学校時代の同級生が住んでおりました。...

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水野さんの堀木町

水野さんが“旧四日市を語る”に、斎場があった堀木町のことを書いてみえた。 昭和13年の四日市地図 昭和初期の堀木町は、四日市の西端で三滝川の南側に位置し、戸数わずか十数戸の田園の中のちいさなまちであった。地籍は浜田1番地からあり、浜田地区農業用水の三滝川取り入れ口の井堰がある重要なまちであった。...

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諏訪駅の?何処だ!⑦

前回の諏訪駅は?で、たいじゅさんからコメントが届きました。改めて掲載いたします。 『四日市市史』内では『諏訪駅にサービス嬢登場』という見出しで伊勢新聞の記事を紹介しており、諏訪駅での女性改札係の初見(業務開始)は昭和13年11月10日からとなっているようですね(まずは案内係1人、改札係2人を配置したようです)。杉田様の記憶もほぼ正確であります。...

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水野さんの堀木町 ②

堀木町のM君は同級生だった。中部中学校から西方向、田圃の向こうに集落が見えて、M君の家はその中にあった。秋の日の午後、学校が終わって遊びに出かけると家族総出で稲の脱穀をしていた。父親は亡くなっており、二人の兄さんとの作業だった。急ぐ秋の日に、藁くずが光りながら舞っていた。M君も若い頃に亡くなっていて、同窓会には一度も姿をみせなかった。 昭和13年8月 堀木町の水野さんも、“旧四日市を語る会...

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堀木町で三滝川決壊

昭和13年8月1日の午後から2日午前にかけて、集中豪雨が四日市を襲った。三滝・海蔵両河川は氾濫し、2日午前9時半頃、ついに堀木町北方の三滝川堤防約100メートルが決壊した。 決壊現場...

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堀木町を歩く

先日のお休みに、運動を兼ねて堀木町を歩いた。 西町の地蔵さんがスタート。 ① 西へ進むと上り坂になっていて、右の橋が明治橋。金津さんがリヤカーに乗せられ渡った橋。真っ直ぐ西町駅のあったガードをくぐると堀木町方面へ行く。 ②ガードの手前から左へ折れると、中部中学校正門前のガードにあたる。当時はもっとお粗末だった。電車が通るとき“肝試し”と称してガード下に立つことが流行ったが、飛沫(?)がかかるので...

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昭和の消えた仕事図鑑 ①

図書館で借りた本より...

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昭和の消えた仕事図鑑②

イラスト:平野理恵子さん よろず屋・・・どこの村でもあった日用雑貨を売る店。店番はおばさんがしていた。お菓子を中心に、履物、靴、ハサミ、化粧品、文房具、ちり紙、ハンカチなどを扱っていて、子供にとって楽しい場所だった。現在のコンビニの役割を昭和40年代まで担った。 イラスト:平野理恵子さん...

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電光石火の・・ここは何処だ?

本日の“まちゼミ”で、昭和37年作品“電光石火の男”のシーンは何処かを考えた。 一周年記念を迎えた“御在所ロープ―ウェイ” 本町通り 新道通り 近鉄四日市駅 そして、ここがどこか分からない。鹿化川ではないか?という意見があった。 コンビナートが見える住宅地。カーブしている。曙町あたりか??? 昭和53年のマップ...

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垂坂山古戦場のこと

垂坂山古戦場のことをもう少し勉強してみました。南北朝入り乱れての闘いに伊勢の地は巻き込まれていきます。 2021年6月18日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) 鎌倉幕府は、諸国に守護、荘園に地頭の制度を布いて郡司や荘園地主の権益を守ろうとしたが、実際は、百姓から力でのし上がってきた守護大名が強大な勢力を築いてきていた。...

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垂坂山古戦場のこと②

北朝と南朝がごっちゃになってしまいましたので、南北朝時代を振り返ってみました。 足利尊氏像 左の絵が有名ですが、現在では、執事の高師直(こうのもろなお)であるという説が有力だそうです。 後醍醐天皇を助けて鎌倉幕府を討った足利尊氏だったが、公家や寺社の所領支配を保証したため不満続出、功績のあった武士と共に後醍醐天皇から離れることとなる。...

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垂坂山古戦場のこと③

1336年、湊川の戦いで楠木正成に勝利を収めた足利尊氏は、1338年、征夷大将軍となり室町幕府を開くが、その後、弟の直義(ただよし)と執事の高師直(こうのもろなお)との確執などで殺し合い状態となった(観応の擾乱)。このあたりは、次のサイトにお任せします。“感応の攪乱”とお間違えの無い様。 面白いほどわかる観応の擾乱!簡単にわかりやすく徹底解説【年表付きでまとめました】 | まなれきドットコム...

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牡蠣船(かきぶね)のこと

“旧四日市を語る 第二集”に、北岡さんが“回顧”として“かき舟”のことを投稿してみえました。大正期から昭和の戦前にかけての、のどかな風景が描かれています。 明治44年 三滝橋南詰に牡蠣船が出されていた 三瀧橋の袂、往年の色町(南町?)、商店で賑わった東海道。私が生まれ育った北町の堤防のあたりも、戦火でひとなめ、すっかりカラー変えしてしまいました。...

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四日市中心部刷新へ

3月10日付 中日新聞 北勢版より <付録>昭和32年3月週刊朝日より 前田憲司さん提供 近鉄駅前バスターミナル構想をきっかけに、四日市近鉄駅前が新しくなる。中央通りを中心に街の景観が変わる。と同時に。街の機能も刷新していきたい。住んで良い街、訪れて魅力ある街に向かって、今、諏訪栄・諏訪地域では、国交省 都市局による“官民連携まちなか再生推進事業”に取り組もうとしている。

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四日市の中世城館

“四日市市史研究”の第4号に、駒田利治が“四日市の中世城館”と題して投稿してみえます。その前に“中世”という時代のくくりから調べました。...

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四日市の中世城館②

この後、駒田利治氏は各城館跡について説明をしてみえます。その中から・・・ 萱生城は、あかつき台団地の北部に位置する YAHOO!地図より...

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四日市の中世城館③

点々は歩行経路です 釆女城は保存会の皆さんによるご尽力で、探訪出来る所となっているようですので、お天気の良い日に訪れてみたいと思います。 歴史に想いを馳せて“采女城跡保存会の皆さん” | 四日市市の学習情報サイト まなぼうや (manabouya.com) 内部河川敷から砂利が、三重鉄道で運ばれていました。釆女城跡もあり、鮎やホタルの名所でもあり、橋を渡ると杖つき坂へと至ります。...

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四日市の中世城館④

茂福城は、沖積地の微高地上に築かれ、東海道筋に位置し、現在は宅地、畑、水田となっており、その一部が市の史跡に指定されている。道路で囲まれた約14×135メートルの範囲に土塁と壕が推定でき、地割がくずれた部分に虎口を想定できるかもしれない。昭和52年富田山城線道路改良工事に伴い発掘調査が行われ、壕の一部と考えられる遺構と、戦国時代の土師器、木槌、下駄、漆器椀などが出土した。(四日市市史研究 第四集...

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