イラスト:平野理恵子さん
よろず屋・・・どこの村でもあった日用雑貨を売る店。店番はおばさんがしていた。お菓子を中心に、履物、靴、ハサミ、化粧品、文房具、ちり紙、ハンカチなどを扱っていて、子供にとって楽しい場所だった。現在のコンビニの役割を昭和40年代まで担った。
イラスト:平野理恵子さん
天皇陛下の写真売り・・・戦中まで天皇は現人神であり、神様として扱われていた。天皇の写真は“御真影”と呼ばれ学校の奉安殿や家庭の床の間に飾られた。天皇の写真は人気があり、民間業者が政府黙認の下で販売していた。どこの家でも仏間の横に掛かっていたのは、販売員がいたからだ。
カフェ(純喫茶)・・・戦前から戦後にかけて、喫茶店で珈琲を飲みながら談笑することは高尚な文化だった。昭和40年代には、市街地にも純喫茶が見られた。
イラスト:平野理恵子さん
紙芝居屋・・・夕方になると神社や広場に拍子木を叩いてやってくる。自転車の荷台に紙芝居の箱を積み、上演すると、子供たちに人気を博した。終わると丸い板を立てて回転させくじをする。水飴に“のしいか”を張り付け売っていた。黄金バットは必ず“つづく”になった。
傷痍軍人の演奏・・・街角でアコーデオン等を演奏して金銭を貰う。お袋は横目でみるとこう話した、当初は復員兵だったが、後にニセ物が多くいたと。切れた足を見るのが嫌だった。
イラスト:平野理恵子さん
貸本屋・・・小学校の近くに必ずあった。白土三平の“忍者武芸帖”や“影”など懐かしい。
イラスト:平野理恵子さん
汲み取り屋・・・便所が家の中だったので、汲み取り屋さんが来ると家中匂った。天秤棒の両端に木製の桶を下げ、トイレで汲みだすと、桶の上に丸く巻いた藁を乗せ振動でこぼれ出るのを防いでいた。野菜を貰った記憶がある。
私の家の傍には、駐車場付きの大きなコンビニがある。20年前に引っ越したばかりのとき近所には、果物屋、豆腐屋、文具屋、お菓子屋など小売店が並んでいたが、大型スーパーやコンビニの登場で、すべてが姿を消した。確かに生活は便利である。だが、さまざまな小売店があった頃は、店の人たちとの会話が生まれ、地域社会が形成され、町に活気があったことは事実だ。いまは、コンビニの周りだけ人が集まり、町は静まり返っている。もちろんコンビニに人のつながりはない。ただしモノは簡単に手に入る。果たしてそれでいいのか、それでいいことなのか。昭和の仕事を概観するたびに、考えてしまうことである。
<再掲載の付録>
防人の詩 ナターシャ・グジー / Sakimori no Uta by Nataliya Gudziy - YouTube