釆女城址
yahoo地図より
地目・山林 立地・丘陵 規模・200×250m 時代・文治 城主・後藤氏
概要 文治年中(1180年代)伊勢平氏の後藤兵衛基清ここに拠る。以来 十五代の孫 釆女正の時、信長の侵略にあい、永禄11年(1568)滅ぼされる。」南方に内部川を望む標高70mの複雑な丘陵を利用して営まれた南北250mに及ぶ。土塁で囲まれた平坦地の郭の数は8カ所ばかり。その間をへだてる堀切は6カ所ある。中央の本丸とおぼしき最大の郭には深い井戸が完全に残って、そばに「成満寺開基 釆女公殿五百年遠忌 法要執行記念」の標柱が立っている。伊坂城と立地条件はよく似て、細長い尾根上の城である。(仲見◇三重大学歴史研究会)著 『三重の中世城館』より
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