週刊少年サンデー発売(昭和34年)までに、「小学1年生」「ぼくら」「少年画報」「少年」「おもしろブック」等の月刊誌が隆盛を極めた時代がありました。貸本時代、月刊誌の時代、そして週刊雑誌と移っていったのでした。
佐藤まさあき
「貸本マンガの出版社というのは結局、資本の無力さがある。だから大手出版社と一戦も交えず壊滅していった。」東考社社長であり辰巳ヨシヒロさんの兄である桜井昌一氏は語っています。
平田弘史
「少年サンデーとかマガジンが出た頃は、貸本業界は影響を受けていなかった。テレビの影響が一番大きかったと思う。それに、『青少年育成審議会』から悪書追放で叩かれた。教育者がほとんど敵視していましたからね。衛生的にも良くないとか、貸本は市民権を得ていなかった訳です。
白土三平
しかし、不思議なもので、昔、三流といわれたものが今の時代では一流マンガ誌に堂々と入ってくる。それは時代の推移ですね。ただ、今の劇画の隆盛(昭和62年頃)は、貸本マンガを抜かしてはお話にならない。原点というべきでしょう。」
いばら・美喜