“四日市公害”という災害は、“都市計画法(旧法)”に基づき、国からの方針に従って進められた結果に発生した災害でした。“都市計画”は、お上の仕事で、上から降ってくるものと考えられていたと思います。四日市は明治以来、海運の利に恵まれた土地であり、港から工業都市となり、石油コンビナートで発展してきた町でした。現在ほど、市民やマスコミの後押しが強くなかったので(勝訴こそしましたが・・)“四日市公害”を告発した9名の方には、計り知れない妨害や嫌がらせがあったものと想像できます。
原告団の皆さん
現在、駅前中心市街地では、“四日市エリアプラットホームまちなか会議”が開かれています。市街地は4カ所のゾーンに分けられ、“駅前まちなか”“諏訪公園”“東海道SUWA”“スワエリア”のそれぞれの分科会で話し合いが始まりました。
第2回の様子
我ら“東海道SUWA”の第2回分科会は、7月28日(木)に開かれ、13名の皆さんにお集まりいただき、四日市大学の小林慶太郎先生のリードで順調にワークショップを進めることができました。ありがとうございました。
過去の“都市計画”から学ばせていただきましたが、魅力ある街を目指すのは、そこに住む市民であり、そこで営む者です。行政に任せてしまうのではなく、市民自らが街の未来をしっかり考え、良い街を後世に残していきたいものです。