昭和少年通信 ⑱ 昭和40年の漫画界
昭和40年はどんな年だったでしょうか? 2月 大塚製薬が“オロナミンC ”を発売 2月 アメリカが北ベトナムへの爆撃開始 2月 黒人指導者 マルコムⅩ 暗殺 3月 にんべんが“つゆの素”を、資生堂が“サンオイル”、日産自動車が“シルビア”、麒麟麦酒が“プルトップ缶ビール”を発売(プルトップの栓だけが やたら自販機前に散らばっていましたっけ) 4月...
View Article諏訪駅で降りて ①
昭和30年6月8日水曜日、辻俊文さんは愛用のカメラを持って辻写真館を出た。来年(昭和31年9月)には取り壊されるであろう諏訪駅の前に立つと、東の三泗百貨店方向にカメラを構えた。午後3時30分頃、梅雨空の合間から午後の日がさす。小学生は午前事業で目につくが、高校生は帰宅途中だろう。多くの人のにぎわい、日常のゆったりした時が流れる。...
View Article諏訪駅で降りて ②
諏訪駅の正面写真。 もう一枚同じ角度から撮られた昭和27年の諏訪駅。右に立つ森谷タクシーとその上の貴金属らしい看板(時計と指輪)は同じなので数年の誤差しかないと思える。それにしても驚くのは、自転車置き場から構内への出入りが自由だったことだ。まちなかの諏訪駅そのものは、柵がないに等しかったようだ。 構内写真と構内想像図...
View Article諏訪駅で降りて ③
昭和30年頃の諏訪駅マップです。新しい路線が点線で記されています。 諏訪駅を出た近鉄線が桑名へ向かう。新しくしかれる線路沿いに立って電車を見る人。やがてここを走ることはなくなる。(四日市の昭和 樹林者刊 門脇篤氏撮影) 昭和31年、完成間近の新駅を上空から撮っています(提供:中日新聞) 諏訪駅ホームから、湯の山方面へ向かう電車が出ていきました。(水谷宜夫さん提供)...
View Article失われた駅舎巡り
日曜日に四日市へ出かけて、新しい洋服を買ったり、映画を鑑賞したりする大人に対して、子供たちはおもちゃを買ってもらったり、公園の遊具や百貨店の屋上遊園地で遊んだりするのが楽しみでした。諏訪公園には、大きな鳥舎があって、休日になると、周りには大勢の人が集まっていました。諏訪駅を降りて、たくさんの人が諏訪のまちへ出かけてきました 四日市のまちかど 博物館提供 35年頃...
View Article別世界の一条さゆり
一条さゆりさんが、公然わいせつで捕まった時(昭和47年)、の供述調書に四日市のストリップ劇場のことが書かれていました。小沢昭一座談③まじめに本邦ストリップ考 より マジメに図書館の本です 「昭和43年ころ、四日市のストリップ劇場...
View Article四日市中心市街地エリアプラットホーム事業②
まちからの反応は皆無、そう思っていたら、東海道筋マンションの居住者の方が、子供さんを伴って訪れ、アンケートを置いて行かれました。こう書いてありました。 まちで増えてほしいもの「明るい公園(諏訪公園が全体的に暗いイメージで入りにくい)」「子供の数」 まちで減ってほしいもの「ガールズバー」「空き店舗」「カラスや野良猫」 変わらずあってほしいもの「お祭りやイベント」「挨拶」...
View Article壬申の乱 今年で1350年
本日の中日新聞より 1年ほど前、海水浴場の記事から、聖武天皇に行きつき、遥拝所の碑から“くるべ遺跡”へとたどり着きました。くるべから繋がる 万葉集の世界にも、ワクワクさせられます。 2021年6月22日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) 2021年6月25日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
View Article四日市公害裁判から50年
令和4年7月24日で、“四日市公害裁判”の日からちょうど50年の節目を迎えます。 昭和42年9月1日「喘息は企業の排煙が原因である」として、9名の住民が損害賠償請求訴訟を起こした。 原告の皆さん(四日市公害と環境未来館 提供)...
View Articleなぜ都市計画は四日市公害に無力だったか 前編
四日市大学特任教授 波多野憲夫氏が退任するにあたり、四日市の石油コンビナートがどのように形成されていったのかを「四日市学講座 なぜ都市計画は四日市公害に無力だったか」(平成23年)で書いてみえます。 富田浜海岸と四日市学 - 花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)...
View Articleなぜ都市計画は四日市公害に無力だったか 戦後編
昭和33年:市が国土計画協会に委託して“四日市総合計画の構想”が作られます。それによると「市の南部塩浜地区は石油精製を中心に、北部では埋め立てにより鉄鋼業を立地させる。この工業計画が四日市総合開発の出発点であり、目標である」とあります。臨海部の工業地帯と居住地域を生産緑地、公園などで遮断して南北に発展する帯状都市構想が提案されています。...
View Article映画 張り込みにみる佐賀の風俗
暑い夏になると、映画「張込み」を観たくなる。1958年制作の松竹映画 監督:野村芳太郎。 昭和30年代、映画に描かれた佐賀の風俗を追ってみました。 広い道路いっぱいに並んだ市場は、庶民の買い物どころだった様子がよくわかります。 矢野サーカスが来ています。お祭りの日に合わせての興行だったのでしょう。四日市へは木下サーカスやキグレサーカスなども来ていました。...
View Article映画 張り込みにみる佐賀の風景②
高峰秀子を尾行する 刑事 大木実。折しも、夏祭りで賑わう佐賀の町中を、日傘を目印に追跡が続く。途中通過するのが矢野サーカス前。正面入り口上部では楽団が演奏して盛り上げる。 これは“ジンタ”と呼ばれる民間の音楽隊で“ジンタッタ”と太鼓の音が鳴り響くので“ジンタ”と呼ばれた。(初めて知りました・・・) 「イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑」イラスト 平野恵理子・文 澤宮 優 角川ソフィア文庫より...
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