高峰秀子を尾行する 刑事 大木実。折しも、夏祭りで賑わう佐賀の町中を、日傘を目印に追跡が続く。途中通過するのが矢野サーカス前。正面入り口上部では楽団が演奏して盛り上げる。
これは“ジンタ”と呼ばれる民間の音楽隊で“ジンタッタ”と太鼓の音が鳴り響くので“ジンタ”と呼ばれた。(初めて知りました・・・)
「イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑」イラスト 平野恵理子・文 澤宮 優 角川ソフィア文庫より
鹿鳴館が建てられた明治16年、西洋音楽が広まると考えた民間業者は、軍楽隊の退役軍人で市中音楽隊をつくる。主に遊園会や運動会などで演奏されていたが、日清・日ロの戦勝を経て全国へと広がり、大正・昭和の時代になると無声映画の劇場内やサーカスで演奏された。曲は“美(うる)わしき天然”。明治38年につくられたワルツ風の曲であまりにも有名であります。
麗しき天然https://www.youtube.com/watch?v=GlDISiQvKYE
ここでは、森繁久彌が哀愁を込めて歌っていますが、冒頭の写真に辻 俊文さんが残された諏訪公園南側“麻生医院”前の写真が掲載されていました(オドロイタ!)。有名になったものでゴザイマス。
手紙による連絡を受けた高峰秀子は、バスで出かける。それとなく同乗する大木 実と宮口精二の二人の刑事。車内ではバスガールが切符を販売している。
時は大正時代、バスガールたちは30分前に制服に着替え、梯子でボンネットに上がり、フロントガラスを拭き、バケツでラジエターに冷却水を入れた。準備が終わると、切符と釣銭を会社から受け取って、カバンをベルトに下げてバスに乗った。
当時、バスにはドアがなく客を車内に押し込んで、自分がドア代わりになったという。また、臨検といって運賃を着服していないか、制服を脱がされる検査があったり、酔客からの誘惑などで、昭和15年以降になると過酷な仕事のイメージが付いて回るようになった。戦後人気は下がり、やがてワンマン化されていく。つづく