県庁前の大きな街路樹の下で、アイスキャンデー屋が店を出している。
アイスキャンデーは、20世紀初めにアメリカで作られ、日本には大正時代に入ってきている。当時日本の統治下であった台湾など熱い地域で好まれ食された。戦後になると、自転車に旗を立てた行商人が子供たちの集まる場所に鐘を鳴らして売りに来ていた。木箱で出来たアイスボックスの蓋を開けると、碁盤の目状の枠の中に棒付きのアイスキャンデーが入っていて、イチゴ、メロン、レモン、小豆、ソーダ水、ミルク風味などがあり種類は豊富だった。貧しくて買えない子供もいたので、棒が二本差してあって分けて食べることができるようになったのも売られていた。粗悪な色素や香料のため、多く食べると腹を壊す子もいた。季節仕事でもあり、収入も低く、専業は多くなかった。当店前のうどん屋さんでは、夏になるとアイスキャンデーの登場だ。店頭にコマ割りの製造機があってそれぞれに棒が立っており、おじさんはそこから抜き出して売っていた。ベルトでつながれたモーターが“タンタンタン”と単調な音を立てていた。
昭和の消えた仕事図鑑より
<こんな記載があった> アイスキャンデーからヒントを得て作ったものに、昭和24年以来現在でも販売されている三重県伊勢市のお菓子屋が作る「お福アイスマック」がある。こしあんを使ったアイスキャンデーで、アイスの棒が斜めに差してあるのが特徴である。
ご存じでしたか?食べたことないです。