ロケハンは佐賀の夏祭りに照準を合わせた。貞子の家を張り込む二人の刑事。あめ屋?が通る。子供がそのあとに続く。
あめ屋の通り過ぎた後、行商人が入っていく。箱に描いてある傘の絵から、修繕人と想像できる。
こうもり傘は当時高価で、骨が折れると、ギブスをはめて使っておりました。修理屋が住宅に来ると、主婦は家の戸を開けて、壊れた傘を何本か持っていく。修理屋はすぐに空き地や道端の隅にむしろを広げて、道具箱を取り出し、金槌で叩いて修理を始めた。弁当箱より一回り大きい修理箱には金槌のほかに裁ちバサミ、金切りバサミ、糸を切る和バサミ、何種類かのペンチ、留め金が入っている。これらを器用に使いこなし、修理してゆく。その光景を幼い子供たちが取り囲んで、いろいろと質問すると、修理屋は分かりやすく教えてくれた。(昭和の消えた仕事図鑑より)
この後、貞子は傘をさして出かける。途中大衆食堂の角を曲がるのは前にも話した。自分の店の斜め前にも“嶋口屋”さんがあって、風邪をひいたときには鍋を持参して“素うどん”を買ってきた。
当時の懐かしいメニューに、玉子丼、親子丼、他人丼、志の田うどん(油揚げの別名、名古屋中心)、肉うどん、きつねうどん、玉子うどん、カレーうどん、天ぷらうどん、きしめん、中華そば、ハヤシライス、カレーライス、チキンライス、オムライス、焼き飯などがあった。
Webサイトより
8月6・7日は大四日市祭り。コロナで2年間辛抱した反動でしょうか。街中に大勢の人が来ていただき、“まち”が実感できるひと時でした。娘がネットでおもちゃを仕入れて100円、200円で売ったらよく売れました。利益は???考えたくありません。
夜7時30分、南浜田の獅子舞が神社へ練りこみの途中に立ち寄り、披露していただきました。3歳ぐらいの子供さんが口取りをしていて、感無量でゴザイマシタ。