映画張込みにみる佐賀の風景④
高峰秀子を尾行する大木実。行き交うのは“ロバのパン売り”ではないだろうか?人がガラスケースを引いているようだ。 昭和6年、札幌の“ロバパン石上商店”は、中国から贈られてきたロバにパンを引かせて人気が出た。後年、ロバの体を思いやって止めているが、現在も石上の会社は製パン会社“ロバパン”として営業している。...
View Article映画 張込みのすごいラスト!
野村芳太郎監督 1958年松竹映画“張込み”の素晴らしいエンディング!地元の刑事 多々良淳の見送りで宮口精二と大木実の両刑事に挟まれ、犯人役の田村高広は東京へ移送されていく。待合室で切符3枚を求める大木実。 厚紙の切符を棚から シャカッ シャカッと取り出す駅員 当時、午後6時の佐賀駅前広場は、ロケを見ようと黒山の人だかりだった。...
View Article映画 張込みにみる佐賀の風景 余話
ロケハンは佐賀の夏祭りに照準を合わせた。貞子の家を張り込む二人の刑事。あめ屋?が通る。子供がそのあとに続く。 あめ屋の通り過ぎた後、行商人が入っていく。箱に描いてある傘の絵から、修繕人と想像できる。...
View Article張込みにみる佐賀の風景 余話②
ロケ当日、佐賀市内は“日峯(にっぽう)さん”の夏祭りという設定であった。撮影期間は遅れに遅れていたのである。(“清張映画にかけた男たち”西村雄一郎著)...
View Article四日市祭り その2
岡野繁松先生を中心としたグループで出版された“旧四日市を語る会”。その第1集に岡野先生が“四日市祭り”と題して投稿してみえました。 2学期になると、諏訪さんの祭りのことで頭がいっぱいであった。親類の者に会えること、小遣いがもらえること、学校が休みになること、寿司などのごちそうが食べられること、良い着物が着られることなどである。しかし、それ迄には家の掃除や片付けの手伝いがあった。 大正7年の三滝川...
View Article余話 懐かしい写真があった
樹林社さん発刊の写真集「四日市の昭和」に懐かしい写真があった。 昭和28年頃か?左から4番目がしょうちゃん、その右がもちのくんである。二人の家は、右方向の商店街にあった。四日市幼稚園から帰ると、自分を含めてよく遊んだ。ムム?自分は居ない。しょうちゃんは、長靴を履いて池の中に入ろうとしている。池には亀がいた。 池に立つ柵が同じだ...
View Article四日市祭り その3 明治天皇碑は何処?
“秋の四日市まつり実行委員会”さんが、パンフレットの第2弾を発行されました。 ここに“四日市祭り”の歴史が書かれていましたので、戦前までを掲載させていただきます。なお、このパンフは、無料にて入手できます。 ところで、気になっているのが、昭和28年頃のこの写真です。現在、この後ろ(池の東側)に“明治天皇御製の碑”が立っています。 昭和8年9月に錦町の上田谷松氏が建てたもので、「明治天皇御製...
View Article四日市祭り その4 伊勢新聞の今昔話①
江戸時代の四日市祭り 伊勢新聞 昭和31年9月26日夕刊より 大入道をはじめ、27にもぼる山車や釣り物を繰りだした四日市祭りは、万金を投じたもので天下の珍貴を集め、まつり囃子(ばやし)は、まばゆいばかりの大絵巻であった。これはお祭りに関する座談会、“四日市祭り今昔話”の記録である。 語りは、O氏とありますが、岡島清一氏とおもわれます。...
View Article四日市祭り その五 今昔話②
前回掲載した、西町から出る“楽大山車”の続きです。樹林者刊“四日市の今昔”に“四神の鉾と武人人形”として写真が掲載されていましたので紹介します。 四神の鉾を先頭に“蘭陵王(らんりょうおう)”“陪臚(ばいろ)”“太平楽(たいへいらく)”“胡蝶”“貴徳”の武人人形が続き 伶人が雅楽を奏して練り歩きます。これは“釣り物”と呼ばれ、人夫が担いで練り歩くものです。 水谷宜夫氏所蔵...
View Article四日市祭り その6 今昔話③
続いて、南浜田は? 山路良次氏談「大山は、浜田・西町・北町・新田町にあった。浜田の大山は、北浜田でと南浜田(南浜田・橋南・中組・十七軒町)で持っていて、北と南が交代で大山の当番に当たった。 浜田の大山が、旧道を曳航する貴重な写真。その昔、浜田の大山の先端が、塩浜の海岸から見えたという。両脇の人家と比べその巨大さに驚かされます。(前田憲司氏談)...
View Article四日市祭り その7 今昔話 ④
大名行列は、久六町と比丘尼町にあって、内容は異にしていました。 寛文年間 久六町(人練り)は、江戸へ向かうのぼりの行列。行列の最後尾に「頼朝さん」と称する馬上の少年が加わって居ました。行列は、片方の足を大きく上げて進むことで“早く行きたい”という気持ちを現したそうです。(なぜ、源頼朝が最後尾にいるのでしょうか?) 大正13年 足を前に挙げている 久六町の行列 最後尾の源 頼朝公...
View Article四日市祭り その8今昔話⑤
寛文年間 札ノ辻を中心に、北町組の小山は、“紅葉狩り(露天からくり人形山車)”です。平維盛が山中で、女に化けた鬼から紅葉狩りに誘われ、命を狙われますが、男山八幡の助けで鬼を退治するという謡曲をからくりにしたものです。貴女が鬼女に早変わりしました。北町には芸子衆が多く、山車の後ろに鳴り物を囃す(長唄)底抜け屋台(枠だけで 歩いて続いた)がついていました。同種のからくりが名古屋の中村区花車...
View Article図書館移転!
少し前の記事になってしまいました 四日市市と近鉄不動産との間で 駅前スターアイランド跡地への図書館建設が契約されたということです なんとなく遅いような気もしますが 今後スムーズに進めていただきたいものです なるほど ナルホド なるほどナ!と思った本より 現在の四日市に マイカー来四を無視していいことはないと思いますが 邪推か?
View Article四日市祭り その13今昔話⑩
中納屋町 屋形付きからくり人形山車 唐子遊び 唐子の肩の上に唐子が乗り、逆立ちをして太鼓を叩くからくり人形でした。 「旧四日市を語る」第9集より 伊藤氏のお話...
View Article四日市祭り その14 今昔話⑪
明治42年発行の「四日市祭案内記」より(意訳) 県社諏訪神社大祭は、9月25日に始まり、27日に終わる先例で、神社にて、25日に西町へ神輿渡御の式が行われた。26日還御(神社へ戻り)、27日三重県より祝いの出向があり、神社で式の後、昼夜神楽の音絶えず、最も殷賑であった。 4台の大山 町々にては、25日より町練りとなり、居町は勿論...
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