コロナ禍で大きな打撃を受けている街中も、2年ぶりに再開された“大四日市祭り”では、大勢の市民の賑わいを見ることができ、これぞまちの真骨頂といえる2日間でした。その昔、旧東海道沿いにあたる新田町と江田町は、お祭り最終日の夕刻になると“かえりやま”が浜田へ向かい、趣向を凝らして夜の通りを各々の町へ戻っていく風景が見られました。三日間にわたるお祭りの終焉を迎える淋しさと共に、人々は通り過ぎていく“ねり”を眺めたことでしょう。
さて、平成20年5月8日から1年間“四日市市の祭りを学ぼう会”が結成され、12回にわたって学習会が開かれました。この書籍は、それら学習会の結果を前田憲司氏によって編集され平成21年3月31日に発行されたものです。
諏訪神社の例祭である“四日市祭”が始まった時期や由来は定かではありません。ただ、戦災で焼失した北町の大山車に“延宝7年(1679)巳未7月”の記載があったと明治40年発行の“四日市志”にあり、これが一番古い記録です。北丁・上新町・下新町・七幡町・新町・日永町などが生まれ、四日市は、東海道43番目の宿場町として賑わい始めた頃でした。1681年には、四日市飛脚が始まっています。
ご当地、新田町にも大山車はあったのですが、記録は残っていません。(前田さんは、探してみえるのですが・・・)