中納屋町 屋形付きからくり人形山車 唐子遊び 唐子の肩の上に唐子が乗り、逆立ちをして太鼓を叩くからくり人形でした。
「旧四日市を語る」第9集より 伊藤氏のお話
「中納屋の稲葉さんの家は旧家で、「ねりうけ」の看板が出ていて、各町の練りはそこで演技をしました。中納屋の小山は標準の練りでした。前デックは紋付袴の和服姿です。道行の時は左右に采配を振っていましたが、練り受け所に近づくと、くるくると腕を回して采配を振っていました。受書前では、座って扇子を広げ扇ぎながら居眠りを始めます。その動きが巧妙でした。上では、唐子が親の肩に片手で乗り逆立ちをします。そして、もう一方の手で親の持つ太鼓を叩くと、親が喜んで回るというものでした(甕こそ割りませんが、甕破り山車と同じです。中納屋の唐子遊びが“標準の練り”といわれる所以でしょう)。
四日市市市制111周年記念誌「四日市祭」より
桶ノ町 露店からくり人形山車 大入道 日本で最大のからくり人形。明治2年に鯨の髭を使ったからくりにより、首がS時に曲がるようになりました。
図版提供 前田憲司氏
昭和31年9月26日付 伊勢新聞 座談会 四日市祭り今昔話しより
M氏「今のような大入道が初めからあったわけではなく、いろいろな変化や苦心が払われてきました。当初は、大小いくつかの入道オバケが並んでいたし、御鏡から手が出たり、傘から手が出たりする七化けが混じっていました。(この様子は現在の大入道の台に彫られています)
花井昇氏の記録より
明治初期の大入道は首が真っ直ぐにしか伸びませんでした。伸びきってぐるっと曲がるところに凄みがあるわけで、セミクジラの骨(髭)をばねに使うまでは苦労がありました。着物も、天保時代は小判ジマだったのを大きく見せるため縦ジマにしたといわれています。お祭りも、町の変化や人の移動、経費の面で昔の面影を偲ぶことは出来なくなりましたね。